不思議な少年
ある夏の日だったと思う。
僕は何も考えることもせず、扇風機の風にあたりながらアイスをかじって畳に寝っ転がっていたんだ。
夏休み、宿題はまだ残っていたけれど手を付ける気にもなれず、ただ時間を持て余していた。
雲の流れをぼうっと見ながら同級のことなんか考えたりして。
それで香ってくる畳の藺草の匂いが妙に懐かしくて。
蝉の声にはすっかり慣れてしまっていたから煩いとも感じずにいた気がする。
お母さんは仕事で家に居なくて、お昼どうしようかなとか。
子供らしくない心配していたんだよな。
そんな彩られた青春の記憶をたどると、思い出せない…いや、思い出しているんだけれどどうにも定まらない記憶がある。
僕が小学校の頃の夏休みにだけ現れる外国人の男の子のことだ。
小さい時には、彼がきっと毎年旅行で夏に日本来ているんだろうなと解釈していた。
でも改めて親に問いかけてみたらそんな外国人はいないという。
住んでいるのかと思ったけれど、この田舎にあんな綺麗な男の子がいたら目立つのに、誰も彼の話をしない。
田舎は、面積だけが広い。知らないうちに引っ越してきたのかもしれない、と勝手に納得した。
彼は綺麗な男の子だったんだ。
金色の巻き毛に青い目は、昔映画で見た子役の外国人にそっくりだった。
彼は日本語も上手だった。
そうだ。僕が縁側に寝っ転がって雲を見ていると、彼が訪ねてくるんだった。
夏休み、学校の子と遊ぶのよりそれが楽しみだった気がする。
彼は物知りだった。
知らない国の話も、知らない人の話も面白く僕に教えてくれたんだった。
一番好きな話は、永遠に年を取らない、ただ世界を見て時々人間に話しかけるだけの時空を漂う少年の御話だ。
その少年は人間に害を与えるわけでもなく幸運をもたらすわけではなく、ただひたすら見つめて、知ろうとするだけの存在だったっけ。
そんなお話だった気がする。
大人になった今、帰省で田舎に帰ってきてからふと彼のことを思い出した。
彼と僕は、約束をしていたのだった。
「君は、ここを離れるのかい?」
日が落ちかけたころだったと思う。彼が問いかけた。
「えーどうだろう。わかんないや。家好きだし、出ないかも」
彼がどういう意味で行ったのか幼い僕にはよくわからずこう返事したのをよく覚えている。
「そう。人の心なんか案外変わっちゃうものさ。君もきっとそう。」
「どういうこと」
「つまり、君が僕のことも忘れてしまうってことだよ。」
「忘れないよ。だって友達だろ。」
悲しいことを言われて、子供ながらに驚きとどうしたらいいのかわからない気持ちになったんだった。それで、夕陽を見ながら彼が少し馬鹿にしたような笑みを浮かべたんだ。
「忘れない自信、あるの?」
「あるよ!」
「分かった。じゃあ、10年後の今日、またここにいてよ。」
「うん」
それからどうしたんだか覚えていない。
ただ、この話を僕は今まで忘れていた。すっかり。
でも、今、この誰もいない実家の昼下がり、体型も顔つきも変わってしまっただろう僕は縁側に寝っ転がって雲を眺めていたら蘇ってきた。
変わらない蝉の声。
畳の匂い。
雲の流れる速さ。
空の色。
嗚呼そうだった。僕は、あの不思議な少年と約束したんだ。
あの約束した日から、彼との記憶はない。
暫くは寂しかったきがするけれど、部活の忙しさや勉強で薄れていったのかもしれない。
青い空が何となく彼の目の色に近かった。
約束の日はいつだったんだっけ。
そういえば、今年が10年のその年なんじゃないかな。
それをぐるぐると考えていたら、足音が聞こえた。
「忘れていなかったんだね。」
声を掛けられて蘇った記憶に色が濃く着いた気がした。何故なら、彼の声は記憶の中の声と全く変わらなかったからだ。
顔を上げると、そこにいた彼は、10年前と同じ姿で、同じ微笑みを湛えて僕を見ていた。
やっぱり君は、あの少年だったんだね。
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