ずっと後の話

僕は今、ロンドンで一番のデザイナーだ。

その自負はある。もちろん、実際に流行を作っている自信があるからだ。

今年はタータンチェックをターゲットにし、それがメインの洋服を多くデザインした。おかげで、ロンドン中の女の子はタータンチェックを身に着けている。


学院を卒業した後、ママンの紹介もあってロンドンのデザイナーの下で働いた。しばらくは下積みの経験をしてからいろんな人の助けを借りて独立に成功した。業界じゃ、「流行の旋風」だなんて呼ばれている。でも、可愛くないから少しだけ不満。

僕は、何も変わっていないつもりだ。もう子供という年じゃないけれど、いまだにくるみパンが好きだし、ママンの作るココアは甘くしてもらわなきゃだめだし、お化けは怖い。

親友だって、いまだに家を行き来するような仲だ。

彼もまた変わらず、運動が少し苦手でおっとりしていて、歴史が得意だった。その才能を生かして、博物館の職員をしている。少しだけ目が悪くなって、眼鏡をかけ始めたからそこは変わったところかもしれない。

僕は…背が伸びた。学生時代はチビで、気にしてはいなかったんだけど、それからは想像つかないほど背が伸びた。可愛い服が着られないのだけがちょっとだけ嫌。

僕の青春時代ともいえるひと時を彩った彼のことを思うと、僕は同性愛者なのかと思っていたけれど違ったみたい。今じゃロンドンで一番かわいいガールフレンドがいる。一人暮らしの僕の家に彼女は週末だけ遊びに来る。それで2人で、僕のデザインしたペアルックの洋服を着て、街を歩く。

だから僕は、少しだけ大人になってしまったのかもしれない。でもそれって、変わることとは違うよね。


「ねえ聞いた?」

その日は親友のアスランとカフェに来ていた。相変わらず襟足のカールがきつくて、最近は髪を縛っていることのほうが多い。

僕の方は、少しだけ髪を切って相変わらずチェックのセットアップを身に着けている。

「何を?」

「聖クロイツの理事長が今日から変わるらしいよ」

そう言われて、少し前の新聞の見出しを思い出した。

「へえ、この前倒れたって新聞に書いてあったもんね」

理事長のことはあまり詳しく知らないけれど、優しかったのは覚えている。新聞で彼が倒れたと見たとき、わずかながらも悲しくなった。

「それでね、新しい理事長がね…」



彼が続けた言葉は、僕の予想をはるかに上回るものだった。アスランから紡がれたその言葉に、涙が流れた。忘れようと蓋をしてしまった箱がその名前を聞いて開いてしまったかのようだった。

気づいたら、店を飛び出していた。

ロンドンの石畳に革靴の音が響き渡る。人の隙間を縫って走っていく。

本当に?

もう何年も会えてないのに?

行方不明になったといわれていた彼が帰ってきている?

わけのわからないままがむしゃらに走った。

紅色の本屋の看板も、水色のジューススタンドの屋根も全部全部飛んでいく。

聖クロイツ学院の門を抜けて庭へ足を踏み入れると、懐かしくて仕方のない風景が広がっていた。

何年も時を過ごした場所。

忘れることのない思い出だらけの場所。

そんな感傷に浸っている場合じゃない。

彼に会いたい。

その一心で広い庭を走って、理事長室の方へ急ぐ。


理事長室に彼はいなかった。他の職員に聞くと、院内のどこかにはいるらしい。怪訝そうな顔で「どちら様ですか」と聞かれるが、応えている暇はない。

落ち着け僕、彼が居そうな場所は?

東棟の端に来た時、僕はひらめいた。

あの湖だ。

彼が卒業する直前、あの悲しい事件があった、あの湖に違いない。

僕は東棟を出て裏側の湖に走り出した。


その湖は、その事件以来「金の海」と呼ばれていた。そんなこと、きっと彼は知るはずもないんだけれど。

もう陽が傾き始めている。西日が、湖の水面に反射してキラキラと光っていた。

そしてその光の中に、僕はその背中を見つけた。

彼は湖を見ていた。彼の髪もまた、光に反射して輝いている。

すらりと高い身長、風になびくアッシュグレーの髪。

ふわりと漂う煙草の煙。

「誰?」

僕の足音に気づいた彼が、ゆっくりと振り返った。

変わらない低くて優しい声。

優しい春風の中、僕は彼の顔を9年ぶりに見た。

何一つ変わっていない。19歳の時から何も変わっていない彼に、僕は涙が止まらなくなった。

「おい、泣くなっておチビさん。可愛い顔が台無しだぞ?」

ふっと抜けるような笑みの中、からかう口ぶりで彼が言った。草を踏み分けて近づいてくる。

「ウィル先輩…!」

煙草のにおいが強くなったとき、僕は改めて彼の顔を見た。

「よう、クラウス。元気そうだな」

胸がいっぱいになって、それで、僕は、ウィル先輩に抱き着いた。




薔薇と脳髄の向こう

感嘆と共感と畏怖。共に彼岸へ向かおう。