ベルベットの絨毯

ヴィンセントを起こさないようにそっとドアを閉め、鍵をかけた。

伏せられたまつげと悲しげな表情が脳裏に焼き付いて離れない。彼の悲しい顔は、何度見ても慣れるものじゃない。

こちらにまで感情が伝染する。

もう一杯引っかけにでも行こうかと思い立つ。

赤い絨毯の上をゆっくり進んで行くと、先ほどのことが脳裏によぎった。

ルドルフ。

厄介なマセガキにヴィンセントがここにいることを知られてはいけないという思いが強くなる。上手いこと彼がこのホテルを出ていればいいけれど。

しかし、思えば思うほど彼のことが心配になってくる。自分でもこういうところが彼を付け上がらせるとわかっているのだが、同情と愛情は全くの別物だとウィリアムは思っている。

廊下で縋ってきたとき、彼は裸だったんじゃないか?あまり覚えていないが罪悪感が生まれてしまった。

少しだけ探してやろう。

優しすぎるが故の、ウィリアムの行動は早かった。

3階建てのホテル各階を階段で探す。廊下でうずくまっているのではないかという予想は外れた。次は外だ。ホテルの周りをぐるりと一周しよう。

ガラスのドアを開けると、雨が再び降り始めていた。石畳に跳ね返る水がズボンのすそを濡らしてく。

「ルル!」

飼い猫を探す飼い主みたいだな、と自嘲気味に思いながらその姿を探した。



その様子を、適当に引っかけたホテルの宿泊客の部屋から見下ろしたルドルフは唇に弧を描いた。

「おじさん、僕やっぱり帰るね。また今度、しようね」

ふふふ、と魅惑的な笑みを残し毛布でその裸体を包んで部屋を出る。残された初老の紳士は、上半身裸のままあっけにとられた。


ウィルが僕を探している。これはとてもいい。やっぱりウィルは、いい意味でお人好しだし、悪いことができない。不良なのにね。


裸に毛布をまとっただけの姿で、フロントマンの目を盗んでホテルの外へ出る。ウィリアムはホテルの裏手に回っているようだった。


出来るだけ汚しておいたほうが良いと、地面にたまった泥水を腕や体に塗りたくるとゴミ箱のそばへ蹲った。これできっと、ウィリアムは見捨てられなくなる。

バシャバシャと水を蹴る足音が近づいてくる。

嗚呼、ウィル。早く来て。

「ルル!」

自分の目の前で立ち止まった足音。そして、愛おしい声。泣きそうな顔を咄嗟に作って顔を上げると、ずぶ濡れになったウィリアムが立っている。

そして予想通り、罪悪感からきた行動なのだろうと予想できる表情をしていた。

「ウィル!」

「おい、大丈夫か。こんな格好で…立てるか?」

縋りついてきたルドルフを支えるように立ち上がらせる。ルドルフは「怖かった」とだけ呟いてウィリアムに抱き着いた。

「とりあえず、何処か行こう」

そう言うとウィリアムは自分のジャケットを彼の腰に巻いてやり、肩を抱いたまま道の反対側にある宿へと歩き出した。ルドルフはわざとよろついた様に頼りない足取りで歩く。

安宿のフロントまで到着すると、店主と思われる男が2人の様子に怪訝そうな顔をした。

「あー、連れが酔っぱらっちゃって。1部屋空いてる?」

何も聞かれていないが、変に詮索されるのは面倒だと思ったウィリアムは先にそう言う。それでも不信感がぬぐえるわけもなく、店主は変な顔をしたままだったがウィリアムの出した金貨が通常よりも一枚多かったので無理に飲み込むことにした。

「風呂はついてるよ」

「ありがとう」

ルドルフは顔を下げたまま一言も発しなかった。店主からルームキーを預かるとカウンター横の階段を上がる。

ルドルフは一段一段踏みしめるように上っていく。

2階の部屋に着き、ドアを開けると、古い木製ドアからは想像がつかないほど清潔感のある室内だった。あの店主は案外見栄っ張りらしい。そんな性格が垣間見える客室だ。

「ルル、とりあえず風呂入って来いよ」

「ん…」

一緒に入ろうよ、とでも誘おうかと考えたが、それでは完全な信頼を得られない。ここは素直に従ったほうがいいのかもしれない。そんな計算を一瞬にして行ったルドルフはふらふらと浴室の方へ向かった。

残されたウィリアムはぐしょぐしょになったシャツを脱いで上半身の肌を露にした。貼りついていて不快だったのがいくらかましになる。

そのままマッチを擦って蝋燭に火をともしていく。室内の気温も少しだけ上がった。

髪もぺたりと顔に貼りついてくるのがうっとおしい。後ろへ撫でつけた。

水を浴びている音がする。

きっと何か誘ってくると覚悟していたが大人しく言うことを聞いたルドルフに驚きつつ、悪い奴でもないのかもしれないなと思った。

水の音が止まり、少ししてからルドルフがバスローブをまとって戻ってきた。気分が悪いのか、何も発さない。

「じゃあ、俺も浴びてくるから」

しおらしい態度に拍子抜けし、彼の軽口が無いのは調子が狂うなどと思いながら立ち上がった。すれ違う時に金糸の紙を撫でた。



浴室から水の音が生々しく響いてくる。ルドルフは、ウィリアムの均整な身体を見てますます彼が欲しくなった。

ウィル、君の腕で抱かれたい。どうしたらいいんだ。

帯びてくる熱に耐えられなくなりルドルフはどさりとベッドに転がった。

天井に描かれた天使の肖像と、目が合った。


薔薇と脳髄の向こう

感嘆と共感と畏怖。共に彼岸へ向かおう。