蝋燭の炎

数時間眠れば、吐き気と目眩はすっかり良くなっていた。窓の外はすっかり日が落ち、フクロウの鳴き声が遠くからこだましている。
乗馬の授業後に倒れた自分を助けたのがウィリアムで良かったと思う反面、また頼ってしまったという屈辱感も湧き上がってくる。
僅かに痛む足をさすりながら半身を起こし、枕元に置かれている水を手に取り飲み干す。温くなってしまっていた。
室内の洋燈に火が灯っており、蝋燭の芯はまだ長かった。そんな時間までここに居たのか。
放っておけば良いものを、と半ば呆れつつ再びベッドに身を沈めた。
音もなく揺れる蝋燭の光が部屋の中を幻想的に照らす。月を見上げていたヴィンセントは細く息を吐いた。
アンティーク調度品に固められた室内は、まるで美術館のような印象を与える。これはヴィンセントの趣味ではなく、両親が「こちらの方が見栄えがいいから」と言って用意したものだ。
世間体と伝統。規律の厳しい家の中ではそれだけを頑なに守らされた。
趣味も勉学も着る服も、全部与えられたものだ。そこにヴィンセントの意思はない。友人や将来までも、決められていた。
この学院に入って、彼に出会ってから両親に知られたらとんでもなく叱られそうな事ばかり覚えてしまった。煙草は知られず吸っていたがそこを彼に見つかり、酒なんかも彼の勧めで飲むようになってしまった。
もちろん彼の家庭事情も知っているので彼がただ自由気ままなわけではないこともわかっている。
僕よりもずっと器用に生きている。
自分の心に素直なウィリアムが羨ましくもあった。
コンコン、と軽いノックの音が室内に響く。
「入るよ」
まさに今考えていた彼が入ってきた。まるでレストランのウェイターかのように器用に片手で盆を持ち、煙草を咥えたまま身を滑らせてくる。
「腹減ったろ」
ヴィンセントは何も言わない。青い瞳でただじっとウィリアムの動作を眺めていた。
「なんか言えよ。まだ調子悪いか?」
どうして僕に構うんだ、と口から出そうになったのを飲み込む。そんなことを聞いても、ウィリアムが素直な答えを言うと思わなかったからだ。
「洋燈…」
「嗚呼、日が落ちるくらいに一回様子見に来たんだ。その時つけた。だめだった?」
「いや」
「暗いところ嫌いだろう」
得意なことを知る人間は多いが、苦手なことを知っている人間はほとんどいない。唯一弱いところを知っているウィリアムは、ヴィンセントの嫌いなものを全て知っていた。
むず痒いような、余計な世話だと言いたいような。
不思議な気持ちになった。
「消化に良いスープと柔らかいパン選んできたから」
ベッドサイドの上に盆を乗せると、良い香りが鼻腔をくすぐった。食べたいと思うと言うことは、腹が減っていると言うことだ。
しかしその反面、彼の目の前で食べるのはプライドが許さなかった。誰かの施しを受けているようで、惨めになりそうだ。
そしてそんな彼のことをよくわかっているウィリアムはすぐに踵を返してドアの方へと歩いて行った。
もう行くのか、と寂しさなのかなんなのかよくわからない気持ちで手を伸ばしかけたヴィンセントだったがそれを彼に気づかれる前に拳として握り込めてしまった。
「悪いな」
いつものぶっきらぼうな、淡々とした声で告げると「こう言う時はありがとうっていうんだぜ」と皮肉が返ってきた。
もうヴィンセントは、口を開かなかった。
重いドアを開けて廊下に出たウィリアムは、一度ドアに背中を預ける。ルドルフの言葉が蘇ってくる。
あのクソガキ、妙なこと言いやがって。
軽く頭を振り、そのことを追い払えば長い廊下をさっさと歩き始めた。

薔薇と脳髄の向こう

感嘆と共感と畏怖。共に彼岸へ向かおう。