鐘の音

はあ、めんどくさい事してくれやがって。
彼らが出て行ってから少し時間をおいてからウィリアムも図書室から出た。室内にいた生徒は、彼らの話に聞き耳立てていたらしく、噂のウィリアムが同じ空間に居たことへ驚いている様子だった。それを放ってさっさと中庭の芝生丘までやって来ると苛つきながら寝転んだ。
胸ポケットから煙草を取り出してマッチで火を点ける。赤くちらちらと燃える光を見ているとゆっくり気分が落ち着いて来る。
下級生どうしのいがみ合いだかなんだかは知らないが自分を巻き込まないでほしい。
クラウスの泣きそうな顔が頭の中に蘇ってきて、後味が悪い。放っておけば良いのだが、間接的だが自分が泣かせたようなものなので、きまりが悪い。胸に靄がかかったようだった。
関わりたくないと言うのが本音だが、関わらざる負えない立ち位置にいる気がする。
肺腑に吸い込んだ煙を青い空とそれを隠す木の葉に吐き出す。煙の白は風にすぐ掻き消された。
「面倒くせえ」
何気なく呟いた言葉も風に乗ってすぐ消えて行ってしまう。
再びため息つくとゆっくり瞳を閉じる。耳をすますと、様々な音が聞こえる。
さわさわと葉が揺れ、枝が擦れ合う音の中に芝生を踏みしめる音が混じった。
「誰だ」
反応良く身を起こし、殺気立った口調で鋭く言う。
「今気が立ってるんだ。顔見せろよ」
ふう、と煙を吐きながら木の陰にいるらしい誰かに言い放つと、その陰から姿を見せたのは美しい金髪の巻き髪だった。
「ウィル、ここにいたんだね」
「今一番、お前の顔が見たくない」
「ねえウィル、図書室にいたでしょう。僕、出て行くところ見たんだから」
ウィリアムの言葉など構わず木陰から出て来て隣へ腰掛ける。
こういう行動がたまらないと思う奴がいるんだろうな。
冷めた頭でそんな事を考えると横を向く。
「ウィル、僕彼を泣かせるつもりじゃなかったんだよ。彼、ウィルのこと好きで、僕もウィルが好きだから意地悪したくなっちゃったんだ。ウィル、嫌いになった?」
しおらしい口調でそうは言っているが、ルドルフの腹の底は見えない。ウィリアムはため息を吐いてそれを返事にした。正直、ルドルフには関わりたくない。
何を考えているかわからないし、何をしでかすかもわからない恐ろしさがある。
年下の彼だが、変に大人びていて口もうまい。ウィリアムにとって苦手な人物だった。
「ウィルは僕と彼ならどっちが良いのかなあ」
いつのまにかぴったりと距離を詰めたルドルフがウィリアムの脇腹につぅと指を這わせる。ぴくりと反応したウィリアムがルドルフを見上げる。
「何が望みだ、ルル」
低い声で問うとルドルフは花のような笑顔を見せた。
「ウィリアムが欲しい」
「ますますわからないな。俺みたいなのを欲しがってどうするんだ」
その回答に再びため息吐くと再び仰向けに戻り、呆れた声を出した。煙草を唇から抜いて靴の裏で消した。
僅かに風が強くなる。
「教えてあげない」
食えない奴だな、と呟くとウィリアムは再びポケットから煙草を出して火を点けた。風が強いせいで、煙が速く流れて行く。
「なんでも良いけど、あのおチビちゃん…名前忘れたけど。あの子はあんまりいじめんなよ」
「どうして気にかけるの?」
「俺が原因で泣かれちゃ夢見悪いから」
「ふうん」
「どうしていじめるんだよ」
舌先で煙草を転がしながらルドルフに問うと、今までの余裕そうな雰囲気とは打って変わって急に黙り込んでしまった。妙に感じて軽く目をやると、ルドルフは見たこともないような悔しげな表情をしていた。しかし、ウィリアムの視線に気づくとすぐさま張り付いた笑みを浮かべ直す。
「いじめてないってば」
虫なんか殺したことがないような優しげな顔をして、何を考えているのか。
先ほど見せたような、本心から来る表情の方がよっぽど良い。
ぼんやりウィリアムはそう思った。先ほどまでの嫌悪感は風化していた。
「ウィリアム 、好きだよ。僕のものになって欲しいほどにね。他の奴に抱かれてても君のことしか考えていない」
「そりゃどうも。生憎俺はソッチの気は無いんでね」
若干茶化しながら返事をしなければ、妙な雰囲気になってしまいそうだった。ウィリアムはまっすぐこちらを見つめるルドルフの目を見て、彼もまた心の均衡をギリギリのところで保っているのだと知った。
「じゃあウィルは、ヴィンセントが抱いて欲しいと願ってきたらどうするの?」
思いがけない質問が飛んできて、ウィリアムは目を見張った。
どういう意図だ。
僅かに走らせた緊張が空気を張り詰めさせる。
表向き、ウィリアムとヴィンセントは関わりがないように振舞っている。監督生のヴィンセントが不良の自分と居ては色々と問題があるとわかっているからだ。ウィリアムが転校してきてから一年ほどは同室だったが、それももう随分昔のことだ。
出来るだけ合わないようにしているし、ヴィンセントもきっと同じ考えだろう。廊下ですれ違えばヴィンセントはウィリアムのことを注意する程度だ。
それなのに。
ルドルフの今の言い方は、自分たちが度々会っていること、しかもそれが秘密のこととして行われていることを知っているようだった。
ウィリアム は警戒し、出来る限りの平静を装うと片眉あげた。
「王子様が俺にそんなこと言ってくるはずがないな」
「そう。でも何が起こるかなんてわからないよ」
相変わらずよくわからないことを言うルドルフに首をかしげるとウィリアムは身を起こす。
「なんでも良いけど、友達とは仲良くしろよ。じゃあな」
早く切り上げてしまいたかった。ルドルフに、何を言われるかわからないし、何を読まれているかわからないからだ。特に、ヴィンセントの事を突かれるのは嫌だった。
まだ何か言いたげなルドルフを置いてさっさと校舎の方へと歩き出す。収まっていた苛つきが蘇ってくる。
ふいにルドルフの言った言葉が脳裏をよぎる。
ヴィンセントが抱いて欲しいと願ったら。
一瞬想像してしまった映像を無理やり消し去り、そんなことがあるはずない、と自分に言い聞かせる。
そう、あのヴィンセントが、そんなこと言うわけがないのだ。一番よくわかっている。
余計な事を言ってきたルドルフを僅かに恨みながら自室へと足を向けた。
夕食どきを報せる鐘の音が、茜色に染まりつつある空に響いた。

薔薇と脳髄の向こう

感嘆と共感と畏怖。共に彼岸へ向かおう。