木漏れ日

あの子との出来事は正直予想外だったな。
先程玄関でぶつかった少年の事を思い出した。昔飼っていた小型の犬に似てるんだよな。
あそこまできらきらした目で見られると俺みたいな性根腐った人間は居たたまれなくなる。罪悪感みたいなのが生まれるからかもしれない。
寮弟にしてくれって頼まれたけど、絶対彼のためにはならない。
好いてくれるのは有難い事だが、俺と一緒にいてあの子が可哀想な目に遭うのは御免だった。

生徒用玄関を抜けて少し行くと教員と監督生の下駄箱がある。
長いこと直射日光に当たっていただろうヴィンスが心配になった。
こんなに俺が気にかけてるのお前くらいだからなと心の中で悪態吐くが、どうせ本人はお節介だとしか思ってなさそうだ。
廊下の突き当たり、木製の下駄箱が並ぶ中に金髪が見えた。
「ヴィンス」
俺の予想通り、下駄箱と下駄箱の隙間にもたれかかる形でヴィンスがしゃがみ込んでいる。うまく曲がらない右脚を庇うように伸ばして、床に座ってしまっていた。
「気分悪い?」
どうしたとか大丈夫なんて言葉、彼には意味のないものだと知っていた。淡々とした状況把握。ヴィンスを理解するにはこれだけで充分だ。
「どうしていつもお前なんだろうな」
白い顔がますます白くなって、汗だくだった。強がって憎まれ口を叩いているが、早く部屋に連れて行ったほうがよさそうだ。
ヴィンスの台詞は無視して彼の肩に手を回す。
「医務室と自分の部屋どっちが良い?」
浅い呼吸でうまく息が出来ないのだろうか。僅かに咳き込んだあと小さな声で「自室」と答えた。
どこまでも自分の弱みを人に見せないつもりらしい。固く閉ざされたヴィンスの心が俺には痛いほど伝わる。
なんとかヴィンスを立ち上がらせるが、1人で歩くのは難しそうだ。
「腕回して」
背負う形に持っていくと、彼の腕を俺の首の前で組ませ、そのまま脚を持ち上げる。予想よりもずっと軽い。ヴィンスの儚さと危うさを初めて肌で感じる。
「お前に世話になるなんて」
まだぶちぶち文句を小さな声で言っているので「他のやつに見つかるのとどっちがいいんだよ」と言うと何も言わなくなった。
少しずつヴィンスの呼吸が整っていくのがわかる。少しだけ俺も安心した。
「人が居ない道で行ってくれ」
「わかってるよ。お姫様は静かにしてなさい。」
我儘を言ってくるヴィンスに少しだけいつもの仕返しで言い返すと「お姫様じゃない...」と弱気な返事が返ってきた。
ちょうど本鈴が鳴り、廊下の人気は全く無くなった。これは有難い。
西棟からヴィンスの部屋まではそう遠くないから大して苦ではない。そもそもヴィンスが軽いし。
ヴィンスは少し身体が弱い。御坊ちゃま育ちで兵士訓練していたらしいが、落馬による怪我を負ってから免疫が落ちたんだとか。長時間日光の下にいると貧血を起こして倒れる。でもそれを知っているのはこの学院できっと俺だけだ。
それくらい、ヴィンスは鉄壁の仮面を被って生活している。

「着いたよ」
幸い、授業中になったので部屋までは誰にも見られずに来られた。久しぶりにドアからヴィンスの部屋に入ると、彼をベッドに寝かせてやった。
荒かった呼吸はだいぶ治り、顔色も良くなっている。
彼の様子を伺いながら洗面台からグラスをとって水を汲む。
「飲みな」
グラスを差し出してもヴィンスは反応しない。ぐったりと身体を投げ出したままだ。
「おい、嫌がってる場合じゃないだろ」
半ば強制的に彼の身体を起こし、自分にもたれ掛けさせると唇にグラスを付ける。
仕方なく口を開いたヴィンスに水を無理矢理流し込むときちんと飲み込みんだ。
胸をなで下ろすと、珍しくヴィンスが俺から離れずもたれたままになった。
孤高の王子様がこんなに弱気になるのなんてなかなか無い。物珍しさと、くすぐったくなるような感覚になって、そのままにした。
人の事はあまり言えないけれど、本当に甘えるのが下手だな。
こちらから特に動く事もなく気の済むまでそうさせてやろうと思った。
外からは元気な声が聞こえる。外で遊んでいる下級生の声だ。授業というより、お遊戯の一種なんだろうな。
そんな事をぼんやり考えていると、ヴィンスが離れてドサリとベッドに横たわった。
もう大丈夫そうだな。
立ち上がって手に持ったグラスの水を枕元に置く。
「水はここに置くよ。じゃあ、俺はもう出る」
一声かけてからベッドを離れようとした。
「ウィル」
ベッドの中から小さな声で呼ばれた。
何か用があるのか、と足を止めてその次の言葉を待つが、いつまで経っても紡がれない。
ゆっくりと振り返ってヴィンスを見ると、虚ろな目とぶつかった。
いつもは目なんか見てこないくせにな。
それにしても、ヴィンスの甘え方はよくわからない。
まだ行くなって事なんだろう。
俺は戻って、ベッドに浅く腰掛けた。


薔薇と脳髄の向こう

感嘆と共感と畏怖。共に彼岸へ向かおう。