天使の泪6

平日の昼間といえど文化の中心であるこの街は人が多い。
石畳の上、伝統と文化を大切にしているこの道には多くの人々が忙しなく、しかし余裕のある足取りで歩いている。そこに紛れて2人も目的の場所へと向かっていた。
目当ては、レオがいつも使っている服屋だ。自分の好みに合うデザインの服が多く、昔からあるブランドだが最近は若者集客に力を入れていて値段も比較的安値なのだ。ここならば種類も多いし、小さいサイズもあるだろうと思いついたのだ。
道を歩いている間、ミカエルに何を着せたいかばかりを考えていたが脳内だけでも愛らしい様子が思い描ける。出来れば、ユニセックスな、昔からある服を着てもらいたい。しかし、自分の趣味を押し付けるほどの高慢さを持ち合わせてはいないレオは、口には出さないでおこうと決めた。
薄紫色の庇が垂れたその店は、街の景観を損ねない懐古的な様子と、真新しさを兼ね備えた洒落たデザインをしている。レオにはこの店のアンティークな様子がたまらなかった。
チョコレート色の扉にはめ込まれたガラスの奥を覗くと中にはあまり人がいない様だった。街中にいる人は多いが、店に入る程ではない散歩者が多いのだろう。
そのドアを押すと、上部についたベルがカランと涼やかな音を立てた。
「いらっしゃい…あら、レオンさん!」
小花の散った薄い色のワンピースを身に纏ったここの名物店員でもある、少し年の行った女性が嬉しそうに声を上げた。
「こんにちは。」
「今日は何〜?春物先取りかしら?」
「嗚呼いえ、今日はこの子の洋服を買いに来ました。」
ここでやっと、彼女はレオの後ろに隠れていた少年の存在に気がつき目を丸くした。
「あらあら!こんなに綺麗な子見たことないわねえ。レオンさん、どうしたの。ガールフレンド?」
「…いえ。この子男の子なんですよ。」
「あら!」
やっぱり女の子に見えるよなあ、と苦笑いしつつ、そう言われたミカエルの機嫌が悪くなっていないか心配になる。
彼女は身を軽く屈めてミカエルと目線を合わせると、その顔を見つめあまりの造形の美しさにため息を漏らした。
「綺麗な子だねえ、教会で見た天使の肖像画にそっくりだわ。」
みるものの頬を緩ませる力があるのだ、ミカエルの姿には。
自分のことではないのだが、レオは嬉しくなった。大きな青い目をしたミカエルはじっと彼女の瞳を見つめ返したままゆっくりと瞬きをする。
「ねえその肖像画って、なんて名前?」
見つめられていても全く動じないミカエルがようやく口を開いた。問いかけられてから少し考えた後、彼女が答える。
「えーっと、確か、大天使ミカエル…だったかしら。」
「それ僕だよ。」
表情一つ変えずにさらりと言うミカエルに僅かに驚きを滲ませるがさすがは客商売、すぐに微笑みを戻しては「そうねえ、そのくらい貴方も綺麗よ」と返して彼女は立ち上がった。
「私はこの店のオーナーの妻、ヴァレッタ。宜しくね、天使さま!」
彼女も冗談めかして言うと、「ゆっくりしていってね」と声をかけてからカウンターの中へと引っ込んで行った。
「信じてなかった。」
「ん?」
「信じてなかったよ、彼女。」
僅かに悔しそうな、感情を押し殺した様な声。
嗚呼、天使だと言う話か。彼の寂しそうな顔を見てレオは心臓を掴まれる様な感覚になった。再びその金の髪の後ろ側を撫でてやると、ミカエルがこちらを見上げた。
「レオ、レオはレオンなの?」
「え?嗚呼。そうだよ。本名はね。」
「ふうん。」
相変わらずあまり本心が読めないまま興味を失ったのか彼は目の前に広がる洋服の山へと歩いて行ってしまう。僅かに軋むウッドフロアの上にはアンティークなラックが所狭しと並び、そこに沢山の洋服がかけられている。背の高いポールの上には帽子が、まるで木の実のように掛けられている。
ミカエルを追って洋服と洋服の隙間を縫う様に歩く。メンズもレディースも取り揃えられているここなら、彼の気にいる洋服がきっとあるだろうと後ろから見守っていると、一つを手に取ったミカエルが振り返った。
「レオはこういうの着て欲しいんでしょ」
そういうミカエルが手に持っていたのは、確かに、脳内で一番着せたいと思っていたフリルブラウスだった。よくみるとレディースだし、女の子に間違われるのが嫌そうな彼にそれを着せるのは酷だ。
「…着てほしくないと言ったら嘘になるけれど、君が嫌なら着なくていいよ…」
語尾に行くにつれてどんどん声が小さくなっていくと、気恥ずかしくなってレオは再びミカエルから目を逸らした。どうせ心の中は読まれているんだろうなと思いながら。
「いいよ、着てあげる。」
天使は花の様な微笑みを向けて手に持ったフリルのブラウスを体に軽く当てた。

薔薇と脳髄の向こう

感嘆と共感と畏怖。共に彼岸へ向かおう。