天使の泪3
「だから僕は、天界から落ちてきたってわけ。」
物語を読んでいるかのような。夢うつつのような。
夢のような美少年が紡ぐきらきらしい言葉の断片をうまく噛み砕こうとしながらレオは耳の後ろを搔く。
宗教の問題か?
「宗教?」
「いや」
ふと心の中で呟いた言葉に少年は不機嫌そうに反応した。
彼には心が読めているのだろうか。レオは、ミルクを注いでやりながら首を傾げ、改めて少年に目をやる。
さっきから何度か、彼に心の中を覗かれているような気がしてならない。自分が思ったことを、見事なまでに彼は言い当てるし、心の中の自分とも会話している気がする。
そんな不思議なことがあるのだろうかと疑問に思うが、ハナから疑いの目を向けるにしては少年の目が純粋過ぎる。
そして彼が語った、彼の半生についてもかなりファンタジーな話だった。
自分が天使で、理由はよくわからないけれど人間界に落ちてきてしまったこと、天界に戻る方法を探したいということ。
レオはそういった類の話が嫌いではなかったからなんとか飲み込むことができたが、苦手な人はただの妄想癖のある少年だとして適当にあしらってしまっただろう。
それに、彼の話す話はまるで昔に読んだ童話の中のようで惹かれるものがあったのだ。
「じゃあ、君は天界に戻る方法をどう探すんだい?」
「分かんない。もしかしたら兄さんたちが迎えに来るかもしれないし。」
「来なかったらどうするの?」
「知らない。」
自分のことだと言うのに無責任に言い放つと、さっきまで彼は知らなかったシリアルを口に運んだ。
確かに彼が天使だと言うなら、これだけ物を知らないのも頷けるかもしれない。辛うじてミルクは知っていたみたいだったが、シリアルに関しては「なんだこの木屑!」と驚いて食べようともしなかった。うまく説明してなんとか食べさせ、不思議がりつつも口にすると新鮮な味だったようで食べ始めた。
お澄まし顔の口の周りには少し食べかすが付いている様子が子供らしくて可愛い、とレオは思った。
「君、付いてるよ」
くすりと笑いながら彼の口の周りを拭いてやる。案外こう言うことは大人しくしてくれるらしい。言葉遣いや整った顔立ちからとてもプライドが高いのかと思いきや、子供のような扱いをしても怒りはしない。不思議な子だ。
「ねえ」
「何?」
「僕、ミカエルっていうんだけど。その君っていうのやめて。」
「ん、わかった」
不満げに口を曲げる彼…ミカエルの子供らしい表情を見て思わず微笑みながらレオは頷いた。すると満足したのかミカエルも微笑んで気に入ったらしいシリアルを口に運んでいく。
ミカエル…そうか、ちゃんと天使の名前だな。もしかしたら本当に天使なのかもしれないな。昔聖書で読んだ天使も、美しい少年の顔をしていたっけ。それなら、この美しさも頷けるなあ。
目の前で朝食にがっつく天使を見てちょっぴりおかしくなった。
「人間の体は不便だね。食べなきゃいけないなんて」
ふと顔を上げて不服そうに漏らすが、机の上の朝食はしっかりと平らげている。
ちょっとつっけんどんな態度をするけれど、きっと悪い子ではないんだろう。
「食も一種の楽しみとして人間は生活しているんだよ。お昼は、もっと美味しいものにしようか。」
「もっと美味しい?」
レオの言葉にきらきらと目を輝かせてミカエルが笑った。高貴な女王のような表情をしたかと思えばあどけない少年の顔にもなる。そんな彼にレオは猛烈に興味が湧いた。
「どうしてだろう、僕はあまり人と関わるのが得意じゃないのに、ミカは平気だ。」
「何そのミカって」
「ミカエルだとなんだか堅苦しいだろう?」
「ふーん変なの。」
朝食の片付けをしている最中、なぜか隣で見ているミカエルの話しかけると興味の無さそうな返事が返ってきた。まあ、そんなものだよなと少し寂しく思いつつも大して気にしないでいると、ミカエルは目を瞬かせて何か考え込む。
「多分それは、僕が天使だからだよ。」
なんの話だ?と思ったが先ほどした自分の問いかけに対しての答えを考えてくれていたようだ。大真面目にそう答え、見上げてくるミカエルを見て自然と頬が緩んだ。
「そうかもしれないな。じゃあ、ミカが来てくれたのは神様から僕への贈り物なのかな。」
「さあどうだろう。神様は何考えてるからわからないからなー。そう思ってもいいんじゃない?」
そう言って伸びをすると、くるりと背を向けて寝室の方へ行ってしまった。
本当に不思議な子だな。
自分よりもひとまわり小さなその背中を見送った後、喜ばせてやろうと昼食の下準備をレオは始めた。
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