マリア様のしたで
重々しいチャペルのような鐘の音が鳴ると、講堂の中に居た生徒たちのざわめきが一気に小さくなった。
完全に無くならないのは、未だ予鈴だからだ。
「昨日の授業わからなかったよね」「朝食なんだろう」
少年たちの想い想いの言葉が飛び交う中で、クラウスは視線をあちこちに彷徨わせて例の「彼」の姿を探した。通路の横を通り過ぎる他の上級生たちはクラウスに「今日も可愛いね」などと言葉をかけていくが当の本人には届いていないようだ。そわそわと落ち着きなく見回す彼に、隣にいたアスランは肩をすくめる。
「大丈夫だって、まだ予鈴だし」
「そうだけど…」
こないことの方が多いのだ、彼は。そう思うと不安になる。まあ、約束をしているわけでも無いのだが。
クラウスたちは入口の一番近くの席に座っていた。此処ならば、もし彼が入ってきてもよく分かるからだ。
牧師さんも講堂の中に入ってくる。生徒たちは自然に静かになり、各々聖書を取り出し始めた。
クラウスも心ここに在らずといった風ではあるがのそのそと聖書とロザリオを取り出した。
もう来ないかもしれない。まただめだ。
そう悲しい気持ちになり、つるつるとした聖書の表紙をなぞったその時だった。
「ちょっと詰めて」
鼻をかすめる煙草のにおい。声変わりした低い声。
はっと顔を上げるとそこには思い描いていた相手の姿がある。グレーゴールドの髪の奥からグレーブルーの鋭い瞳がこちらを見つめている。
言葉にならないほどに嬉しい。その感情が明らかに顔に出ていたクラウスを見てウィリアムは片眉を上げて怪訝そうな顔をした。
今にも飛びつきそうなクラウスを引っ張ってアスランが自分の方に寄せると、ちょうど1人分座れるほどの空間ができた。ウィリアムは教師に見つからないように身を低くしたまま其処へドカっと座る。肘置きに肘をついてさもつまらなそうにあくびをすると自分をじっと見つめているクラウスに首を傾げた。
「俺の顔なんかついてる?」
問われたクラウスは目を見開いたまま首を振る。なお、この間も全く目を逸らさない。
しっかり目に焼き付けておこうとするかのように瞬きもしない。
隣にいるアスランは少し不安になってきた。不良と言われる彼にこんな態度をとって大丈夫だろうかと心の中でははらはらしている。
「じゃあ俺、君になんかした?流石にこんな可愛い子に悪さした覚えないんだけど」
可愛い!可愛いと言った!花が咲き乱れるかのような嬉しさが込み上げて今にも爆発しそうだ。にやける頬を抑えながらまたクラウスは首を振った。
「いえ、あの…以前困っている時に助けてもらったクラウス・ハーロックと言います!」
「困っている時…?」
ウィリアムには覚えがなかったようだ。喧嘩をするのも誰かを助けるのも日常茶飯事の彼は、いちいち人の顔を覚えることをしなかった。
「上級生に乱暴されて…」
「あーわかったけどわかんないな…まあ良いよ。」
曖昧な返事をされたのが少しだけ寂しかったが、まあいい、今から覚えて貰えば良いのだ。
「あの時は本当有難うございました。それで…えっと」
「何」
「よかったら僕をファッグにしてくれないでしょうか」
思いもよらない申し出にウィリアムは軽く吹き出す。
静かになりつつある講堂の中で、あまり抑えない彼の笑い声が少しだけ響いた。
「園内一の不良って言われて喧嘩ざんまいの俺に良く言えたねお嬢さん。」
「お、おじょうさん?」
「失敬、可愛いからね。まあとにかく、悪いことは言わないからやめときな。自分で言うのもアレだけど、君も目をつけられるぜ。良いことなんかひとつもない。」
からかうような口ぶり言いながらウィリアムは胸ポケットに手を入れて煙草の箱を取り出した、が講堂だったのを思い出してすぐに引っ込める。煙草を吸うのにも慣れているせいだろう。
きっぱり断られてしまうと流石のクラウスも落ち込んだかと思いきや、負けず嫌いの彼には火をつけたようだ。
「じゃあ、どうしたらファッグにしてくれますか?僕も煙草を吸えば良いですか!?」
「そう言う問題じゃ無いな」
身のかわし方がうまい。のらりくらりとかわされてしまう。
「こんなに好きになった人、はじめてなんです…!」
完全に愛の告白なのだが、本人は大真面目なようだ。これにはウィリアムも困惑したが、彼が何か言う前に牧師の号令が入ってしまった。
しぶしぶ口を閉じたクラウスは下唇を噛んで聖書に目を落とした。
「皆さんで賛美歌を歌いましょう…」
厳かな空気の中オルガンの音が響く。講堂の中に美しい賛美歌がこだましていった。
ちらりと横目で彼を見ると、歌う気など全く無くつまらなそうに頬杖をついていた。その整った横顔を見てクラウスはますます好きになってしまった。
絶対ファッグになりたい。
そう心に誓うと彼から目を逸らして一生懸命賛美歌を歌う。頑張っている所をみせようという作戦だ。
そしてそんな心情をあっさりと汲み取ったウィリアムは可笑しくて笑い出しそうになるのをこらえるのだった。
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