ひみつのこと
「ヴィンセント先輩、今日はありがとうございました。」
全学年が利用することのできる、ある種サロン的な存在になりつつある談話室から出てきた少年が頭を下げているのが見えた。
別に悪い事をしたわけでもなんでもないのにウィリアムは思わず廊下の端に寄って姿を隠した。
理由は、出てきた少年が頬を赤らめながら見上げていた事、そしてお礼を言っている相手の名前に思わず反応してしまったからだ。
自分でもよくわからないがなんとなく顔を合わせない方が良いような気がした。
開いたドアの陰から金の髪が見えたかと思ったらすぐ様整った横顔が覗いた。
「わからない部分は無くなったかい?」
目の奥に偽りの優しさを宿した彼の姿を見て若干呆れつつ肩をすくめる。
「はい、凄く分かりやすくてとても助かりました...あの....」
「なんだい?」
「また分からなくなったら来ても良いでしょうか?」
顔を赤くしたまま恐る恐る問いかけた少年に微笑みながら柔らかく答える。
「嗚呼、いつでもおいで」
その一言で少年は弾けるような笑顔を見せてから一度頭を下げ、そのまま寮の方へ去って行った。
何故か自分の身体が強張っていたのに気づいたウィリアムは長く息を吐いてから、今来たかの様にドアの裏へと向かう。
「優等生様はタイヘン」
談話室に引っ込もうとしていたらしい彼の動きがピタリと止まるのがよくわかった。
「談話室はもう閉室の時間だ。用がないなら何処かへ行け」
「別に。用はないけど行く場所もないって感じ」
言い訳を無視して閉めようとする腕を軽く押しのけてするりと室内へ身を滑らせると眉をひそめたヴィンセントが「おい」と低い声を出した。
ウィリアムはそれに構う事なく真ん中に置かれたソファに背中を向けたままドサリと腰を下ろすと長い脚を組んだ。
深いため息が背後から聞こえたかと思ったらガチャリと扉の鍵を締める音が響く。
「仕事の邪魔はするなよ」
「しないさ」
仕事って、学生なのに大変だな。という皮肉を飲み込んだ。ヴィンセントが自分の立場を誇りに思っていることを知っていたからだ。
カチコチとアンティークの背の高い時計が秒針を刻む音がこだまする中、仕事の邪魔をするなと言ったヴィンセントはその場から動かない。
妙に感じたウィリアムが振り返ると、眉根を寄せたままだが自分を見下ろす貴公子の姿があった。
「なに?」
「......お前、煙草変えたのか」
「そんな事が気になるの?さあ、どうだかな」
ふと鼻に抜ける笑みを零せば前に向き直る。すると後ろから細い腕が伸びてきて胸ポケットから小さい煙草ケースが抜かれた。
ベストに潰されて少し形が変形していたそれがヴィンセントの細い指に挟まれ彼の視線を浴びている。
「女か」
「違うよ。いや違わないけど。貰っただけ。」
「感心しないな。夜、寮を抜け出しているのは知ってる」
なんでもお見通しか、と軽く肩をすくめるとこめかみを掻いた。
「ヴィンス、妬いたの?」
つり目ぎみの目尻をわずかに下げながらバツの悪さを隠すように揶揄うと、ヴィンセントの眉間にますます深いしわが刻まれた。
綺麗な顔なのにそんな顔しない方がいいけどな、となんとなく思いつつ腕を伸ばしてヴィンセントから煙草の箱を奪う。
「ここでは吸うな。匂いが本に移るだろう。」
一本取り出したウィリアムをみてはその手から煙草を取り上げ、くるりと背中を向けたヴィンセントが監督生の立場もあってか、小さな声で「部屋で吸え」と言った。
「吸うな、って言わないところがどうしようもないよな」
その背中に少し呆れたように、しかし何処か嬉しそうな声でウィリアムが呟いた。
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