群青

別に、喧嘩がしたくてしたわけじゃない。
ただあいつらが気に食わなかっただけだ。
俺と同じく留年しているあいつらは、自分たちが一番この学園で偉いと思っている。そしてそれをいいことに好き勝手する。それが気に食わなかっただけだ。正義感が強いわけじゃない。ただ、腹が立った。それだけ。まぁ5対1じゃ勝ち目ないよなと頭の奥ではわかってたけど、あいつらのせいだけじゃないむかむかした気分を半ば八つ当たりにぶつけたかったんだと思う。まだ俺も青いなぁ。あいつらがいなくなった芝生の上で、痛む腹を抑えながらなんとか仰向けになる。木漏れ日が眩しく、空が青く高い。苦しい呼吸を抑えてポケットから潰れた煙草を取り出した。やっとの思いでマッチを擦ると肺腑いっぱいに煙を吸った。大の字に転がりつつぼんやりと空に向かって伸びていく煙を見つめた。
何やってんだろうな。
途方も無い虚無感にも襲われる。急に昔の事を思い出して嫌になる。まだ半分くらいしか吸っていない煙草を靴の裏で消すとゆっくりと身を起こした。
「喧嘩か」
後ろを振り返らずヴィンスが尋ねた。
いつも通り、彼の部屋へと向かい中庭に面した窓から入り込むと彼は机に向かっていた。
微かな血の匂いを感じ取ったか。頭のいい彼ならすぐ察しがついたんだろう。
答えようとしたら喉の奥に張り付いた血の塊がひゅうと音を立てた。軽く咳き込んだら声が出るようになった。
「まぁね」
「感心しないな」
「好きでやったわけじゃない」
「嫌いならわざわざ喧嘩なんかしないだろう」
説教じみている。わずかに眉をひそめながら不機嫌そうな声を作る。
「あんたにはわかんないだろうけど、拳でしか解決しない事もある」
「実にくだらないね。暴力で解決することなんかこの世には何一つない」
「机上の空論」
ここでやっと彼が振り向いた。金の糸みたいな髪が形のいい顔を覆っている。
眉ひとつ動かさず、彫刻のような表情が俺を見据える。下級生や同級生、ましてや教師なんかに向けられる微笑みは決して俺には向けられない。いつも軽蔑したような、冷え切った顔をするのに彼は俺を決して拒絶する訳ではなかった。
「なんとでも言いたまえ、出来損ない」
辛辣な言葉に肩をすくめて答える。別に俺はこのくらいの罵倒じゃ傷つかない。もっと酷いことを言われてきたからだ。
俺たちの会話はこれで終わったかのように思われた。しかし珍しく話を振ってきたのはヴィンスの方だった。
「椅子に座りたまえ」
説教か、と思い俺になにかを諭すのがどれだけ無駄かと呆れながらも、なんだか面白そうな気がして大人しく言われた通りに座る。
ヴィンスは深くため息を吐きつつも近づいて来た。青い瞳とぶつかる。彼が身を屈めると柔らかい金の髪がゆるりと垂れる。
無駄に丁寧な動作でヴィンスの指が俺の髪を払うと、彼の目が細くなった。
「だいぶ殴られたな」
「まあ、相手はジョージア達だったから」
「はぁ....またあいつらか.....」
監督生のヴィンスにとってもあいつらは悩みのタネらしい。細い眉を寄せてヴィンスが背を向けて棚の方へ行く。
「なにしてるの」
「....」
その背中に問いかけても返事は無い。
なんだよ,と何処か不満な気持ちになって来た時、ヴィンスが振り返った。
「少し染みるかもしれないが」
赤の十字がついた白い箱が開けっ放しになっている。手にはアルコールの茶色い瓶と、ガーゼ。
「珍しいね」
「僕の美学だ。君のためじゃ無い」
「そう」
再びヴィンスが近くなる。先程気づかなかったが、ほんのりと百合の香りがした。
傷口に、ヴィンスの塗るアルコールが嫌に染みた。

薔薇と脳髄の向こう

感嘆と共感と畏怖。共に彼岸へ向かおう。