9:昼下がりのオールディーズ
空腹を感じて時計を見ると、昼はとっくに過ぎていた。
先程諸戸から貰った社食券に目を落とす。
社食券すらも洒落たデザインで、抜かりのない会社だなあと思う。
期限が特になかったので今日は帰ろうかと思っていたところ、馬渕から声をかけられてしまった。
「橘くん良ければ一緒に社食、食べに行かへん?」
断る理由もないし、下手に断って今後ギクシャクするのも嫌だと思えばその誘いを受けることにした。
「やったー!ここの社食美味いらしくて楽しみなんですわ。みょのんさんもいく?」
「あー僕この後レコーディングあるんで、また今度!」
「おっけー今度飲みましょ!」
馬淵とみょのんはもうすっかり打ち解けたようだ。気軽に声をかけていて驚いた。
「じゃー橘くん、俺とでええですか?」
「はい。勿論です」
馬淵と連れ立って中にいる他の面々に挨拶をしてから会議室を後にした。
馬渕はどうやらお喋り好きのようで、他愛のない話がとめどなく展開される。
聞いているような聞いていないような曖昧な返事をしながら社食へやってくると、お昼時ではないのにそれなりに混み合っていた。
「わ、混んでるなあ」
「そっち空いてますよ」
カウンターの席を指差し、そこへ荷物を置く。
ビュッフェ形式になっているらしい。どこまでも洒落ている会社だ。
料理が並べられているところまでいくと、近くにいた女性社員の視線を受けるが、気づいていないふりをした。
「橘くん、めっちゃ見られますね。そりゃかっこええもんな〜」
「いつものことです」
「そのセリフ俺も言いたいな〜」
そんな軽口を叩きながらテーブルに並べられた食事を皿に取っていく。
適当にローストビーフとパンをとって、レジで無料券を出す。
「お願いします」
レジの女性も響紀に見惚れて一瞬手が止まったが、すぐに手早くカトラリーを渡してくれた。
外に出るとこういうことが多い。
実害はないが煩わしいことには変わりないのだ。
久しぶりに自分のいつもいる界隈ではない場所にいるので、少しだけ疲れた。
カウンター席について食事を始める。
味も下手なレストランよりも美味しい。
大手企業の社食を味わいながら馬渕と肩を並べて今回の新曲についての話をした。
方向性はなんとなく固まっているが絵コンテと擦り合わせるのがなかなか難しそうだ。
まあどうにかなるだろう。
響紀は腕にはめた時計をちらりと見る。
もうこんな時間だ。れおは家で大丈夫だろうか。
もう成人している幼馴染に抱く心配じゃないとは思うものの、世話を焼きたくなってしまうのだ。スマホを確認しようにも、なんだか失礼な気がしてできない。
そんなことを思っていると、横のカウンター席の椅子が引かれた。
「先ほどはありがとうございました。僕もご一緒しても?」
声の主を見る。諸戸が立っていた。
会議室で見たのと変わらない柔らかい笑顔で手にマグカップを持っている。
流石にジャケットは脱いでおり、シャツにベスト姿だった。
「はい、どうぞ」
響紀はそちらに顔を向けて頷いた。
馬渕と諸戸に挟まれる形になってしまった。
きっと馬淵は諸戸と喋りたいだろうから、なんとなく邪魔者のような気がしてきた。
さっさと食事を終えて退散するのが良いだろうか。
「失礼します。お二人とも、今日はご足労頂きありがとうございました」
諸戸はコーヒーの入ったカップをテーブルに置く。
昼食は摂ったのだろうか。
「いやいや、こちらこそお声がけほんまに感謝です」
馬淵が頭を下げている。彼は諸戸相手でもそこまで緊張はしないようだ。
別に響紀もとりわけ緊張するタイプではないが、馬淵の物おじしない態度に感心した。
馬淵につられて響紀も軽く頭を下げる。
「企画でわからないところとかご不安な点はなかったでしょうか」
「特にありませんでした。やっていくうちに何か出るとは思いますが」
「俺もなかったですよ!わかりやすかったです!」
2人の回答に、諸戸が目じりを下げる。
笑うとどこまでも柔和な顔になるな、と響紀は思った。
よく見れば諸戸は俳優に居てもおかしくないような顔をしている。
こういう業界に居ればスカウトもされていそうなくらいだ。
あまり人の顔に頓着がない響紀ですらそう思った。
「そう言っていただけて嬉しいですね」
「諸戸さんとお仕事してみたかったんで俺!」
馬淵が響紀ごしに諸戸に言う。
諸戸は少し驚いた顔をして首を傾げた。
「僕とですか?光栄ですねえ」
「諸戸さん有名ですよ、俺らの中でも!あの人はすごいって結構いろんな人から聞きますし!」
それを聞いて諸戸は困ったように笑った。
「ありがたいような、ハードルが上がっているような‥‥‥大したことしてないですよ、僕は。僕の仕事はアーティストやクリエイターさんたちがいなければできない仕事ですからね。成功しているとしたら皆さんのおかげです」
「っかーーそういうとこなんじゃないですかね!」
馬淵は何度もうなずいて諸戸の話に感銘を受けているようだ。
自分を挟んで展開される話に割って入ることをしない響紀はひたすらパンを咀嚼している。
「やっぱり諸戸さんって――あ」
何かを言いかけた馬淵のスマホが鳴った。意外にもクラッシックの、「ジムノペディ」だった。
「すみません、ちょっと出てきますわ」
「どうぞお構いなく」
申し訳なさそうにしながら馬淵がスマホを持って席を立つ。
馬淵の青い頭が遠ざかっていく。
響紀は諸戸と2人になったが別に大して気にしていない。
れおが昼ご飯を食べたかどうかが心配で仕方がないが、流石に取引先の前でスマホをいじるのは憚られるので我慢した。
「僕はね、あなたに会えるのも楽しみにしてたんですよ」
上品に珈琲を一口含んだあとに諸戸が口を開いた。
響紀は諸戸を見る。
「新進気鋭の若手クリエイターで謎が多いってみんなが話してましてね」
「はあ」
「僕も何曲か拝聴しまして、一緒に仕事してみたくて」
「ありがとうございます」
お世辞だろう、と思いながら響紀は頭を下げた。
「最新曲も聞きましたよ。夜に聞きたくなる曲だったなあ」
直接こうやって感想を言われるのはあまり慣れていない。
特に言葉で語るほど薄い曲を作っているつもりもないので、こちらからは言及せずに諸戸の言葉に耳を傾けることにした。
「僕ね、考えてることがあるんです」
諸戸がじっと響紀の顔を見つめている。吸い込まれそうな瞳から、響紀は目をそらした。
諸戸の妙な距離感に少しだけ違和感を感じる。
嫌な気持ちになったとかではないが、手放しに懐に飛び込んでいけないタイプの人間だと思う。
「何ですか?」
諸戸の目が細くなる。
「こんなに綺麗な顔してるなら、顔出しでアーティスト活動してみませんかって思ってます」
「‥‥‥俺は別に顔で売りたくないので」
響紀が僅かに眉をひそめたのを察したのか諸戸は唇に弧を描いた。
「ですよね~、音楽にまっすぐで素敵ですね。僕、橘くんのことすごく好きかも」
「はあ」
何が言いたいかよくわからない人だな、と思いながら肩をすくめる。
「今日の夜暇だったら飲みに行きません?良いバーがあるんですよ」
女相手でもないのにそんなこと言ってくるなんて、変な人だ。
なんとなくそう思いながら「夜は予定があるのですみません」と断った。
仕事で昼間家に居なかった分、夜はれおに構わないといけないからだ。
「あ~そうなんですね。残念。またお誘いします」
眉を下げて諸戸が悲しそうに首を振った。
お世辞でもなく本当に悲しそうな顔を見て、響紀は肩をすくめる。
諸戸はあまり会ったことのない人種だ。
本心を全てさらけ出しているようには見えないけれど嘘を吐いているようにも見えない。大人の余裕があると言われればそれまでだが、そういうわけでもないような気がする。
上手く自分の中でまとまらないが、諸戸はあまり深入りしてはいけない気がした。
「いや~すみません!」
会話がふと途切れたところにちょうどよく馬淵が帰ってきた。
「いえいえ、お気になさらず」
諸戸が笑顔を馬淵に向ける。
諸戸の視線が自分から外れて何故か僅かに安堵した。
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