8:月桂樹の竪琴
れおも新しい環境に踏み出したことだし、響紀は珍しく大きめの仕事依頼を受けることにした。
基本的にはあまり大きくて人と関わらなければいけない、家で出来ない仕事は受けない主義なのだが、今回はれおもジャズバンドで活動することだし良いかと思ったのだ。
もしかしたら寂しさを紛らわせたかったのかもしれない。
そんな気持ちで仕事を決めるのはどうかと自分でも思う。
その打ち合わせのために、大手レーベル会社であるアポロンレコーズ株式会社に赴いている。
アポロンレコーズと言えば、アイドルやアーティストのプロデュースは勿論、フェスやコンサートの主催、映像ディレクションなど音楽業界に大きな影響を及ぼすレーベルだ。
そんなアポロンレコーズから数日前、仕事用のメールアドレスに依頼が来ていた。
音楽クリエイター、もしくは作曲でフェスに向けたプロジェクトに参加しないか、というものだ。
差出人は諸戸京太郎。
アポロンレコーズでかなり有名なプロデューサーだと噂だけ聞いている。
何度か足を運んだクリエイター同士の飲み会でよく聞く名前なので覚えていた。
既にアポロンレコーズ所属のアーティストには何曲か楽曲を提供しているが、今回はまた少し毛色が違うようだ。
渋谷にあるアポロンレコーズの本社ビルはいつ来ても大きい。渋谷はそもそもビルがいくつも立ち並んでいるが、その中でもひときわ目立つロゴを掲げたビルだ。
ガラス張りのビルの入口にある、回転ドアから中に入っていく。
ロビーの壁にはいくつもモニターが設置されており、無音でアーティストのミュージックビデオが流れていた。
入ってすぐ、左手にある受付へ向かった。
「橘響紀様ですね。ご案内いたします」
関係者名札を貰い、手続きを済ませる。
時々ロビーを通る社員はいるが、この時間は皆仕事をしているのか人気は少ない。
吹き抜けの天井から垂れ下がったいくつものフェスの弾幕を見上げて、改めてこのレーベルの大きさを感じた。
受付嬢の後に続いてエレベーターに乗る。エレベーター内のモニターには今アポロンレコーズが売り出し中のアーティストのライブ映像が流れていた。
そういえばこのアーティストの発掘企画も確か諸戸京太郎がプロデュースしてたはずだ。
ぼんやりそんなことを考えながら、受付嬢に続いてエレベーターを降りる。
オフィスフロアではかなりの人数が働いていた。やはり、この時間外回りに行く人間はあまりいないだけだったようだ。
共通ロビーや休憩スペースの脇を通っていく。
すれ違う女性社員が響紀の顔に見惚れる場面がいくつかあったが、響紀自体はそんなことに興味がない。知らない人間からの興味ほど煩わしいものはない。
そんな視線を躱しながらおしゃれなオフィスの中を通り、いくつかスタジオの前を通り過ぎてから、「こちらになります」と広めの会議室に通された。
白を基調とした部屋の中は大きな窓からさす日光で随分明るい。
廊下から中が見えないようにすりガラスの壁になっている。清潔感とおしゃれな空間に、撮影スタジオかなにかなのではないかと思ってしまうほどだ。
そこに長机が向き合うようにして2列になっており、座った全員の顔が見えるような配置になっている。
金かけてるな、と無粋なことを思ってしまった。
会議室の中には既に何人かの男女が転々と座っている。
扉から顔を覗かせると彼らがこちらを向いた。
「おはようございます」
先にいる面々に軽く頭を下げると、彼らも口々にそれに応える。
「ど偉いイケメンですなあ!あ、自分、クリエイターの馬渕弦太朗です」
一番入口に近い場所に座っていた関西なまりの男が人懐っこそうに笑って立ち上がる。
年齢は20代後半くらいだろうか。青く染めた髪がいかにもクリエイターという感じだ。
彼は響紀を見上げるようにして握手を求めた。
「橘響紀です。作曲やってます」
差し出された手を思わず握る。彼の指の硬さで、何かしらの弦楽器をやっている人間なのだとわかった。しかし残念ながら彼の名前は聞いたことが無い。
「君が橘くんか!俺はね、絵描きなんですわ」
「絵描き?弦楽器は何かされていないんですか?」
絵描きなら名前だけではわからない。あまりイラストレーターには詳しくないのだ。
「えっなんでわかるん!?すご!」
「指先が硬かったので‥‥‥」
「おお!なるほど!下手の横好きっちゅうんでたまに弾くんですよ~音楽好きでね~」
照れくさそうに笑った馬淵は響紀の手を離した。
「いいですよね。俺も楽器やるんで」
「橘くんのこと、俺知っとりますよ~曲よく聞いてます!会ってみたかったんで嬉しいですわ」
「はあ、ありがとうございます」
そんな会話をしていると、続々と人が入ってくる。
脇によけて、そのままの流れで馬淵の横に座った。
他のメンバーには挨拶する暇もなく、こちらからわざわざ挨拶に行くのもなんだか気が引けたのでぼうっと眺めることにした。
何人かはネット動画などで見たことのあるクリエイターやアーティストのようだ。
顔出しをしている人もいればいない人もいるようで、馬淵なんかは顔出しをしていないとの事だった。
響紀も、音楽クリエイターとしては顔出しをしていない。
それもあってか、年齢層も性別もバラバラのメンバーは皆一度響紀に目を奪われるらしい。
視線を感じながらも必要最低限のやりとりだけをこなしていく。
クリエイターやアーティスト同士での知り合いもいるらしく、談笑に花が咲いているところもある。
響紀は特に知り合いもいないのでスマホのメッセージアプリを開いた。
家を出るときれおが寝ていたので仕事で出かける旨を送っておいたが、既読もついていない。
どうやらまだ寝ているようだ。
「馬淵さんのこの間のアニメーション好きでした~」
「まじですか!嬉しいですわあ」
そんな会話が横から聞こえてくる。
会議室の中は随分と賑やかになった。
集合時間の5分前。
「なかなか和やかな雰囲気で良い滑り出しですね」
眼鏡をかけた長身の男が入って来るや否やにこやかにそう言った。
クリエイターたちの視線が彼に向く。
響紀は何人かが姿勢を正したのを見た。スマホをポケットにしまう。
「皆さん本日はお集まりいただきありがとうございます。今回の企画のプロデューサーを務めます、諸戸京太郎です」
もう夏に差し掛かるというのに洒落たスリーピースのスーツをきっちりと着こなした諸戸は、穏やかに名乗る。
甘いマスクに優しそうな目が印象的だ。髪を今風に固すぎない程度に流しているのもお洒落な印象を受ける。
一目見ただけだというのに、響紀はこの諸戸という男がアポロンレコーズ一のプロデューサーだと呼ばれる理由がわかった気がした。
物腰柔らかだというのに自信に満ち溢れていて、この人と仕事をしたいと思える。
「本日はどうぞよろしくお願い致します」
軽く頭を下げる諸戸に、クリエイターたちもつられて頭を下げる。
「では皆さんお揃いのようですので、早速ではありますが、資料をお配りいたします。森永くん」
諸戸と一緒に入ってきた部下らしき男に声をかける。
森永と呼ばれた男が抱えていた資料を一人一人に配っていく。
その間も、諸戸は人の良さそうな垂れ目を細めてクリエイター陣を見ていた。
配り終えた森永が諸戸の後ろに戻るのを確認して、諸戸は手に持っていたバインダーを開いた。
「ありがとう。では、今回の企画について大まかな目的と狙いについてご説明させていただきます」
手慣れた様子で企画説明や目的を語っていく。
企画自体に魅力があるのはもちろんだが、諸戸の語り口でより一層面白そうだと思えた。
落ち着いた声と、時々混ぜられるジョークのおかげもあって一瞬緊張が走った会議室は和やかな空気に戻っていく。人心掌握術も持ち合わせているのかと思うほどだ。
もうほとんどのクリエイターは諸戸のことが好きになっているだろう。
一通りの説明が終わりひと段落ついたところで休憩になった。
響紀は時計を見る。
いつの間にか1時間経っていたらしい。体感ではそんなになかったというのに。
「では15分ほど休憩してください。社畜の僕はその間に1件資料をまとめてきますので〜」
会議室はそう冗談めかして退出した諸戸の話題で持ちきりになった。
「アポロンの敏腕プロデューサーっていうから怖い人だと思ったのにめちゃくちゃいい人でしたね」
「諸戸さん普通にかっこいいから見惚れちゃった」
「もう1時間経ってたんだな~」
学校の休み時間のようだ。
特に会話に参加することはなく響紀はスマホを開いた。
赤い通知マークがかなりの件数来ている。
響紀にこんなにメッセージを送ってくるのはれおしかいない。
トークアプリを開き、れおからのメッセージを見る。
20件ほど送ってきている。
余裕がない時は自分も返信しない癖に、響紀から1時間も連絡がないことに対して拗ねているようだ
『なにしてるのぉ』
『ひびき〜』
『おきたよぉ』
寂しがり屋の悪い部分を発揮している。
やることがなくなると途端にれおは構って欲しくなるたちだ。
『会議だった。この後も会議』
すぐに既読がついた。
『え〜やだよぉ〜ひとりぼっちだよ〜』
本当であれば今すぐ帰ってやりたいところだが、流石にそれはできない。
れおの不満には言及せず、響紀は来る途中に動画サイトで見つけた海外のアーティストのライブ映像を送った。
『このライブやばかったから見て』
『ロックバンド?見てみるね〜!』
れおの寂しさを埋めるのは、人か音楽しかない。
放っておいたら別の誰かのところに行ってしまう。だから、見て欲しい映像や音楽を送る。
12年の付き合いで学んだことだ。
『感想よろしく』
そう送ったところで、馬渕に話しかけられた。
「橘くんは知ってました?諸戸さんのこと」
「......名前となんとなく噂は」
「ですよねぇ!」
他のクリエイターも話題に入ってきた。
「あ、申し遅れましたみょのんって名前で歌歌ってます!」
その名前は聞いたことがある。動画サイトでおすすめによく出てくる流行りの歌い手というやつだ。
金髪を長めに伸ばした中性的な見た目をしていた。女性に人気がありそうだ。
「作曲やってます。橘響紀です」
「え!?ASOBIBAとかに楽曲提供してる!?」
「あーはい。そうです」
みょのんが目を丸くする。
「こんなイケメンであんないい曲書けるんすか!?」
「いや、そんなことないです」
「そんなことありありよなぁ!」
馬渕もそれに乗っかってくる。距離は近めだというのに、そんなに嫌な気はしない。
響紀の素っ気ない受け答えにも動じず話してくれるからだろうか。
素っ気なくしているつもりはないけれど、人付き合いがあまり得意ではないが故に言葉を少なくしてしまう。
そんな他愛もない話をしていると諸戸が森永を従えて戻ってきた。
「皆さんもうお揃いですかね?ちょうど時間なので続きに戻ってもよろしいでしょうか」
クリエイターたちの様子を軽く見まわして諸戸はまたバインダーを開いた。
クリエイターたちも席に戻り、諸戸の言葉を待つ。
「今回は9名のクリエイターの皆さんにお越しいただいています。ここから3チームに絞り、1曲ずつフェスに向けて楽曲・MVの制作に動いていただきたいと考えています」
諸戸がページを捲る。
「...本来であれば一番初めにやっておくべきでしたが僕の話が長くなってしまったせいで遅れてしまいました」
冗談っぽくそう言う諸戸に、笑いが起きる。
「チーム分けはこちらで用意しておりますので、その前に皆さんの自己紹介をお願いします。お名前と、何をされているかをお願いします。‥‥‥ではまず、アヤネさんから」
諸戸は一番手前にいた女性に手のひらを向けた。
「諸戸さんいきなり私ですかぁ?」
「ごめんごめん!アヤネさんなら大丈夫かなって思って」
彼女は諸戸と知り合いのようだ。
口を尖らせる彼女に優しい声で謝る。彼女の方は彼女の方で満更でもなさそうだ。
「いいですけどぉ。はい、諸戸さんに無茶振りされました、アヤネです!スプライトネストっていうアイドルのリーダーやってます!よろしくお願いします〜」
見たことがある女性だと思っていたらアイドルだったのか。
響紀でも知っている有名グループのセンターを飾っている女性だった。
ぱらぱらと拍手が上がり、その横にいる馬渕が名乗った。順番に自己紹介を終え、諸戸がチーム分けを発表していく。
クリエイターは作曲が3人、アーティストが3人、イラストレーターが1人、映像作家が2人という構成だった。
ここから作曲、アーティスト、映像で1チームを組んで楽曲制作に移っていくらしい。
必要があれば人員の増減はアポロンレコーズが負担してくれるそうだ。
響紀は馬渕とみょのんとチームになった。
馬渕は様々な動画活動を行っており、アニメーションのミュージックビデオが得意だという。みょのんの方はダウナーなテクノ曲が得意だという。それに合わせた楽曲を作っていく必要がありそうだ。
チームごとの顔合わせと挨拶が済んでから、今日は解散という形になった。
「お昼も過ぎてしまったことですし、皆さんよければうちの社食でも食べていってください」
そう言って諸戸が全員分の無料券を配った。
にこやかな笑顔のまま諸戸が退室していく。
いくら温和な諸戸とはいえ企画プロデューサーを相手となると緊張は多少なりともあったようで、会議室の空気がより緩んでいった。
響紀はスマホを確認する。れおからの返信は特にない。
ライブ映像を大人しく見てくれていればいいけれど。
まるで子供の留守番を心配する親のようだと心の中で自分を笑う。
荷物をまとめたり、電話をかけ始めたりと各々の世界に戻っていくクリエイターたちを横目に響紀も資料を鞄にしまった。
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