夏
夏と言えば何を思い浮かべるだろうか。
たいていの同僚たちは、「海」だとか「祭り」だとか良い印象を持っているようだった。皆夏が好きで、夏を待ち遠しく思っている奴らばかりだ。
俺?…正直に言おう、俺は最低な気分になる。
暑い、髪の毛がべたつく、汗かく、貧血になる。
ただでさえ男まみれでうっとおしい陰陽寮なのに、夏の暑さのせいで余計むさくるしくなるのが最悪だ。
無骨な奴らは汗かいたこととか気にしないでずかずか部屋に来るし、酒も回りやすくなって悪ふざけが過ぎる。
夏は周りがみんな馬鹿になるから嫌いだ。
しかも今年は格段に暑い気がする。独特の湿気を含んだ粘つく空気がまとわりついてうざったい。それなのに、訓練には軍服で参加しなくてはいけない。
蝉の声も煩わしい。耳障りだし、この音のせいで暑さが増していると思う。
薄い壁と、窓の外が森のせいもあって、俺の部屋からはものすごい音が聞こえるのだ
8月にやっと入り、秋の兆しを感じられるかと思ったがそんな様子もなくじりじりと照り付ける太陽が恨めしい。
俺がこんなに嫌で仕方なくて、どうしようもなく苛ついているのに、涼しい顔した奴がいる。
…惣次郎だ。
薄い青の瞳ってだけで涼しそうに見えるというのに、こいつの顔立ちやしぐさ一つ一つが爽やかに見えるのがむかつく。
今だって、部屋の窓を全開にして風通し良くしようとしてもうまくいかなかったので、惣次郎にうちわで扇がせているが、労働をして居るはずの惣次郎は汗一つ掻いていない。
それどころか、シャツのボタンをきっちりと上まで留めている。これは暑苦しい。
俺だけ暑い思いをしているのが気に食わなくなって、惣次郎を睨みつけた。
「惣次郎てめえ、暑苦しいんだよシャツのボタン開けろや」
労働に準じていた惣次郎は扇ぐ手を止めて、軽く首をひねる。
「俺は暑くないよ。」
「そういうところ、ほんとむかつく。なんでお前だけそんな涼しそうなんだよ不公平だよ!ふざけんなよ!」
こいつはいつもそうだ。俺の話を聞いているようで聞いていない。
今だって、俺のこと見つめているけれど全然違うこと考えているって顔をしている。
暑さも相まって俺は最大級に機嫌が悪くなった。
「惣次郎さあ、マジ、俺のこと舐めてるでしょ…話ちゃんと聞けよ!」
ぼんやりとした様子の幼馴染に嫌気がさせば立ち上がりうちわを奪って頭を殴る。攻撃力はさほどないのだが。
惣次郎は俺を見上げてはまた首を傾げた。見れば見るほど、こいつの整った顔に腹が立ってくる。理不尽な気もするが、どうしようもなくなって頬をつねった。
「お前、今何考えてたんだよ。」
こうなったら徹底的に追い詰めてやる。狭い二人部屋の中で俺は惣次郎を睨みつけた。
「…本当に言っていいの?」
「何渋ってんだよ、言えよ。」
惣次郎の長いまつ毛が一度伏せられて、何か躊躇う様な顔をする。
お、なんだ、言えないようなことなのか?と弱みを握ったかのようで思わずほくそ笑んでしまった。
非の打ち所がない幼馴染をいじめる良い材料ができるかもしれない。なんだか勝ったような気になっては、惣次郎の言葉を待った。
「…夏だし、汗だくで弥勒とヤりたいなあって。」
「………」
一気に涼しくなった。
惣次郎は馬鹿みたいに体力があるし、体格だって悔しいけど俺の倍くらいある。
そのせいもあってか、一度おっぱじめると周りも見えなくなるし馬鹿みたいに俺を労わろうともせずに事を進める。
夏の暑い部屋でこいつと、そうなったら、俺は確実に死ぬ。
反射的に惣次郎から離れると何故かスイッチの入ってしまった惣次郎が立ち上がった。180㎝を超える身長では俺が見下ろされる形になる。
逃げようとすぐさま動こうとすると、壁に追いつめられた。
開いた窓から聞こえていた蝉の声が、急に遠く感じた。コンクリートの壁は、熱を帯びている。顎を伝って汗が垂れるのを感じた。
「こっち見て」
目を逸らした俺の顎を掴んで見上げさせた惣次郎の頬にも、汗が一筋伝って落ちていく。
さっきまでは汗一つ掻いていなかったのに。
形のいい眉を苦しそうに寄せて俺を見下ろす惣次郎の顔に余裕はなさそうだった。普段ならあまり見せることのないような顔に、むかつくけれど胸が高鳴ってしまった。
熱い吐息と共に体温が近くなったかと思うと、唇をふさがれる。
いつもそうだ。
惣次郎は急性だ。いきなり俺の許可もなく始める。
そんな状況になれてしまった自分もいるのが、なんだか許せない。
だから、俺の身体も熱くなってしまったのは、全部夏のせいということにしておこう。
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