2:空き缶と低音

「汚え‥‥‥」

れおが借りている阿佐ヶ谷のボロアパートに足を運んでみて、絶望した。

少し前に掃除しに来た気がするが、勘違いだったのかもしれない。

「汚くないよぉ」

足の踏み場もないほど楽譜やよくわからないおもちゃが転がった部屋の奥でれおがかわい子ぶっている。

海外の子供のおもちゃ箱をぶちまけたようなその部屋を見回して、響紀は思わず口元に手を当ててしまった。

「どうやったらここまで汚せるわけ?」

「だから汚くないってば!」

床に散らばった楽譜をよけながら、れおが近づいてくる。

今日はずっと家にいたからか、イチゴのゴムで前髪を上げていた。そのせいもあってか、いつもより幼く見える。

「どこが汚くないんだよ。こんなに空き缶やらゴミやら溜め込みやがって」

そんなれおの額を軽くデコピンして押しのける。

「いたぁい!」

「さっさと片付けるぞ」

軽く片付けでもして適当に料理でも作って一緒に映画でも見に行こうか、と考えていた計画は台無しだ。

わずかないらだちを覚えたが、れおの「響紀が片付けてくれるもん」という甘えた言葉でどうでもよくなってしまった。

れおに甘い自覚はある。こんなに甘やかしてしまってはこいつはどんどんダメになる、と思いつつ自分無しでは生きられなければいいとも思う。

れおに厳しくしよう、と思っても結局顔を見たら甘やかして、自分にベタベタしてきて欲しいと思ってしまう。

だからといって、幼馴染の部屋の掃除をしに来るのは流石にやりすぎかもしれないが。

「京司、お前はこっちに引き上げたい荷物纏めろ」

といっても今日は、れおが響紀の家に住むための引っ越し作業のようなものだ。

「わかった~」

この部屋を引き払うわけではないので、放置しても大丈夫なようにある程度整頓しなければいけない。

れおは別に良いと言ったが、なんとなく押し切ってきてみればこのありさまだ。このまま放置してたまにしか訪れないなんてことにしたら、悲惨なことになっていただろう。

適当に持ってきたゴミ袋に大量のストロングゼロの空き缶を入れていく。

そこまで昔のゴミではなさそうなので、響紀の家に来ていない日はほとんど毎日飲んでいたのだろう。少しだけ心配になり、れおの方を見るが、こちらの気持ちなど関係なしに楽しそうにリュックに服を詰め込んでいた。

――これからは一緒に居られる時間も増えるだろうし、大丈夫だろう。

僅かに罪悪感があった。

れおを自分たちのバンドから脱退させたことについての後悔もあった。

脱退してから1ヶ月ほど経つが、れおの空元気のようなテンションは拭えない。

それに、脱退してすぐの落ち込みようを見てしまっているので、尚更彼の気持ちを伺ってしまう。

最終的には合意で、その上れおが脱退を言い出したようなものだったが、彼の音楽の場を奪ってしまった罪悪感が付きまとっていた。

「ね〜響紀、レコード持って行ってもいい?聞けるっけ?」

パンパンになったリュックを横において、れおが棚の上に立てかけていたアートブレイキーのレコードを抱えていた。

「再生機あるから聞けるよ」

「やった~」

満面の笑みで数枚のレコードをリュックの脇に立てかけている。

れおは以外にもジャズも聴く。というより、音楽の幅が広い。

バンド自体はロックに偏っていたが、それでもれおが客演で呼ばれるバンドはジャズもブルースもやるようなところだった。

部屋に散らばっていた空き缶はひとまず回収できただろう。

「ちょっとゴミ捨ててくるわ」

声をかけてから部屋を出た。

分別ボックスに缶を捨て、通常のゴミ捨て場にゴミを捨てて部屋へ戻ってくると、ベースの弦を弾く音がする。アンプなどには繋いでいない生音だが、はっきりと響紀には聞こえる。

聞きなれた、自分たちのバンドの初オリジナル曲。高校生だったころの響紀たちが作った、拙いけれど思い入れのある曲だった。

れお以外のベースで演奏したくない、そうバンドメンバーと話し合ってまだ低音はぽっかり空いたままだ。

れおの脱退後も何回か練習はしたが、虚脱感が拭えなかった。

メンバーの理一も、颯も、もちろん響紀もれおに帰ってきてほしいと思っている。でも、一度吐いた唾は吞めない。だから、あまり話題には出さないようにしていた。

久しぶりに聞くれおの音に、響紀は胸が締め付けられた。

帰って来いよ、と口に出すにはまだ早すぎる。少なくともファンに示しが付かない。

部屋の奥でベースを弾くれおの横顔を、響紀は玄関から黙って見つめるしかできなかった。

薔薇と脳髄の向こう

感嘆と共感と畏怖。共に彼岸へ向かおう。