夜叉丸の恋9

玉藻の部屋を後にした熊と夜叉丸は、大広間に戻り、一息ついていた。夜叉丸が淹れた茶を熊が飲んだ時、勢いよく襖が開いた。

「和歌じゃ!!」

「騒がしい。」

「すまん兄ぃ!」

満面の笑みで入ってきた星熊が得意げに叫び、畳を踏み鳴らして入ってくる。

夜叉丸はいつもの星熊の唐突な言葉に慣れて、動じない。

一つ空いた熊の横の座布団に腰を下ろし、机に肘をついて口を開いた。

「やはりおなごは和歌よ。和歌がなくては始まらぬよ。」

右の人差し指を立て、不敵な笑みを浮かべるとその手でそのまま夜叉丸を指した。

「僕でも、和歌下手なんです…」

目を逸らして縮こまる。夜叉丸は、数日前書庫で酒呑童子に見られた和歌のことを思い出した。百人一首から何か着想を得ようと思って書き写し、それを自分流で書き直してみたのだがどうにもうまくいかなかった。その試行錯誤している紙を酒呑に見られ、主人は何も言わなかったけれど、恥ずかしさで死にそうになったのだ。

和歌には本当に自信がない。

「出来ないなら誰かを頼ればよいのだ。我はとっておきの方を見つけた!行くぞ!」

まだ座ってから暫く経っていないというのに、すぐさま星熊が立ち上がった。

下の弟の勢いと行動力にはいつも脱帽する。矢の如く飛び出していった星熊の後を追うべく熊も腰を上げる。それを見て夜叉丸も湯飲みを盆にのせてから同時に立ち上がった。




「うーむ…」

星熊のいう「とっておきの方」の部屋についたのは良かったが、その部屋の前には季節外れの藤の花が掛かっていた。障子と障子の間の柱に、小さな竹筒が掛けてあり、その中に藤の花が一房、長雨のように垂れ下がって挿してある。

その部屋の主──崇徳上皇は、多忙の為か屋敷に居たりいなかったりと不定だ。そのために部屋にいないときは部屋の前に花を活けておくと言っていた。

実に風情を大切にする崇徳らしいと熊は思った。

それにしても、季節外れのこの花を何処から持ってきたのだろうか。

もしかしたら術の類で花の季節をずらしたのかもしれない。そんなことを思いながら、妙案がうまくいかずがっくりと肩を落とす星熊の背中を元気出せと言わんばかりに張った。

夜叉丸は先ほどの不安そうな顔をやめて思わずその様子に微笑んだ。

「兄ぃ痛い!」

悲鳴に似た声で星熊が叫ぶと熊は低く笑った。

それに釣られて夜叉丸も、笑ってはいけないと思いつつ笑ってしまった。星熊は何やら二人が笑って居るからいいかと、頭を掻いて照れ笑いする。

「和歌は後回しじゃ!あとあと!難しいしな!」

思いなおすように背中をさすりながら星熊が大声で言った。先ほどと言っていることが真逆だが、あっけらかんという言い方に憎めない何かがある。熊も笑いをこらえながら「そうだな。」と同意する。

「うむ!」

気合を入れなおすかのように星熊が拳を握り締め、その様子にまた熊と夜叉丸が笑った。

「うるさいぞ!玉藻様の御前だぞ!」

廊下でわいわいとしていると、声が飛んでくる。

本気が半分と冗談が半分のような声音。

忘れていたが、崇徳の部屋から少し行くと玉藻の部屋への廊下になる。その一番端から管狐が顔を出していた。

星熊が両手を合わせて謝るしぐさをし、熊は軽く頭を下げ、夜叉丸は何度も首を垂れた。それを見て少しだけ抜けるような笑みを浮かべた管狐が引っ込んだのを見て、三人は再び大広間へと戻ったのだった。

薔薇と脳髄の向こう

感嘆と共感と畏怖。共に彼岸へ向かおう。