浅葱の桜

あの人の背中を追いかけてからもうずいぶん時間がたった気がする。

本土では感じられないような冷えた風が私の頬を撫でていく。

嗚呼、とうとう私は…

目の前に広がるこの知らぬ地に、あの人がいる。

一人で何もかもを背負い、死に場所を探すように北上したあの人が。

何里もの距離を超えて、私はあの人を追った。

北の大地は、予想以上に寒々しいもので戦の爪痕が癒えない。

灰色の風景が目に飛び込み、深く吸った空気も重く冷たい。

早く、会いたい。積み重ねた年月の分、急ぐ気持ちが強くなった。

あの人との出会いは、私が幼い時だった。

正義感が強く、昔からやんちゃしていた私に容赦なく鉄槌を食らわし、それだけじゃなく剣術を…いや、剣術というほど整ったものではなく、どちらかといえば喧嘩というべきものを教えてくれたのはあの人だった。

初めは、いじわるな年上の人だと思っていたけれど、その裏に隠された優しさに、子供ながら気づいていたのかもしれない。

強がるくせに弱虫な私にとって、あの人の生き方は憧れそのものだった。

剣道の面ひもが赤いのも、時々とても怖い顔をするところも、俳句がちょっぴりへたくそなのも、全部格好良く見えた。

俺がお前くらいの時には薬を売っていた、というのを何度も言われたのを覚えている。

だから、こうして剣術が習えるお前は幸せなんだとよくあの人は言った。

私はその度に、剣術を習う理由は貴方のようになりたいからだと伝えたが、笑い飛ばされ、最後には寂しそうな目で「俺みたいになるな」というのだった。

荒くれ者をまとめ、自分だけではなく誰かのために動き、粋で気風が良くて誰からも好かれているあの人が私は大好きだった。

そして、私が物心ついたときに転機が訪れ、あの人と、剣術所の仲間たちは西のほうへ旅立った。見送るとき、私は笑顔で見送った。

あの人がずっと言っていた夢が叶うなら、私はそれを応援したいと思ったからだ。

でも、それだけでは寂しくなる。

西での活躍を耳にするたびに、どうして私はそこにいないのだろうとそればかりを考えてしまって、私が成すべき稼業をそっちのけにあの人との思い出を閉じ込めるために剣術に明け暮れていた。

誰よりもあの人の近くに行くために、幼いころの約束を守るために。

ある時、「私が強くなったら、一緒に戦おうね。約束。つらい時には助けてあげる!」といったことがあった。するとあの人は、「生意気だな。じゃあ、その時は楽しみにしてる」と馬鹿にしながら言った。

あの人は、あの約束を覚えているだろうか。

風のうわさによれば、あの人の仲間はほとんど散り散りになってしまったそうだ。

誰も悪くない、すべては時代のせいだと、私は思う。

でもきっと、あの人は自分を責めているんじゃないだろうか。

私は、あの人と別れてから、ずっと修行に励んだ。少なくとも、あの頃よりは強くなっているはずだ。

だから、この地を訪れた。

あの人の背中を支えるために、この北の大地を踏んだのだった。

私が慣れない洋装に身を包んで、無理を言って船に乗せてもらってここまで来たことを知ったらどんな顔をするだろう。

もしかしたら、私のことなんて忘れてしまっているかもしれない。

忘れてしまっていたら、どうしよう。

その時は、新入隊士の顔をして、ひっそりと傍にいよう。

そんなことを考えながら、陸軍奉行の後に続いて本陣へと足を踏み入れた。

西洋の文化も入りつつあるその場所に、武士を目指したあの人がいると思うとなんだかむず痒い。妙な気がしてしまう。

私は周りを見回しながら木張りの廊下を歩いた。

「局長、客人です。」

客人ではないのだが、訂正をするのが億劫だったのでそのまま受け入れ、木に硝子がはめ込まれた扉を開けられてその奥へ目をやった。

薄暗い部屋の中で西洋の調度品の中、赤い生地に下部が白い三角形がいくつも切り抜かれたダンダラ、その真ん中に「誠」と金色で染め抜かれているものが目に入った。新選組の隊旗だった。

蝋燭の火の向こう、大きな机に向かっていた人影が顔を上げた。

「誰だ」

何年経っても忘れることはない、低い声。

鋭い眼光に、よく整った顔立ち。変わらない。あの人だった。

「土方さん。約束を守りに来ました。」

私の、声変わりしてしまった声に気付いてくれるだろうか。

昔の面影のために、月代は剃っていない。

鬼の副長と呼ばれたその人と、目が合った。

土方さんの瞳が大きく見開かれていく。

何か言おうとしたがそれを飲み込み、不敵にほほ笑んだ。

「遅かったじゃねえか。」

この数週間後、明治2年5月11日、土方歳三は戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭防衛戦で、狙撃を受け戦死した。

私は、あの地で死ねなかった。だから、残されたものとして、彼を永遠に忘れないだろう。

薔薇と脳髄の向こう

感嘆と共感と畏怖。共に彼岸へ向かおう。