夜叉丸の恋8

屋敷の一室に変わりはないはずなのに、その部屋の持ち主によって大きく雰囲気が変わるものだ。玉藻の部屋へ入って夜叉丸はそれを改めて実感した。

優美で繊細な調度品がゆったりと鎮座し、障子にも透かしが入っている。

真っ白い狐と美しい四季の花々が刺繍された緋色の豪華な打掛が飾られているが、これは彼女が身に着けるのだろうか。

欄間から差し込む薄い日の光が一層部屋の良さを引き立てていた。

好きなだけいてもいいと言われたらいつまでもいられるような、そんな居心地の良さがある。不思議な甘い香りのお香は強すぎず、頭の中を楽にさせてくれるような気がした。

この部屋だけまるで違う世界かのようにも感じられる。

部屋の主は火鉢の前で、脇息に凭れ掛かるようにして煙管を蒸かしていた。

「何用じゃ」

細い指に挟まれた彫の細かい煙管から独特の香りの煙が立ち上り空気に交じって息をひそめていた。彼女に合わせて、部屋自体が流動するような印象を抱く。

南蛮から渡ってきたと思われる金細工の火鉢に玉藻が直接灰を落とした。

「夜叉丸が想い人に手紙を書いた。読んでみて女はどういうことを書かれれば嬉しいのかを教えてもらいたい。」

座布団の上できちんと正座した熊が畳の上を滑らせるようにして手紙を玉藻の方へやった。

脇に控えていた管狐が先に手に取り、主人を屈ませない配慮をする。

管狐から手紙を受け取った玉藻は煙草盆に煙管をかけると手紙に目を落として文字を追った。

手から手に渡る文を夜叉丸は心配そうに見つめていたが、文を読む玉藻の目が少しだけ柔らかくなったのを見てやっと肩の力が抜けた。いや、日本三大妖怪のうちの一匹に文を読んでもらうというのはそれだけで緊張するものなのだが。

室内は静かになった。玉藻が文を読んでいる中で誰も何も発さない。

座布団の上で夜叉丸は小さくなった。

何とも言えない空気になった時、玉藻が顔を上げた。

「ふふふ、このあどけない文が我は愛らしゅう。ただ、もう少し胸中を書き記すと尚伝わりやすいぞ…おなごは、殿方からの言葉を待つものよ。」

目を細めて微笑むと、花が咲き乱れたような可憐さが空気を舞った。

傾国の美女からの言葉に夜叉丸は畳に頭を擦り付けて礼を言い、一度顔を上げて恐る恐る尋ねる。

「有難う御座います。……玉藻様が貰って嬉しい文というのはどういうものなのかお伺いしても宜しいでしょうか。」

問いかけに玉藻が顎に手を当てて斜め上を見上げた。

美しい人は手の形までも美しいのだと夜叉丸は見惚れてしまった。

熊も黙ってその玉藻の動作を見つめている。

「真心かの。気持ちのこもったものは、いと嬉しゅう。それに限る。」

何処か慈悲もこもった声で玉藻が呟き、横では管狐も僅かに頷いた。

夜叉丸はその答えで胸を撫で下ろした。高価なものなどだったらどうしようと危惧していたのだ。

自分には何もないが真心なら、と勇気をもらったのか、浮かない顔をしていたのが少しだけ明るくなったように見える。

それを悟った玉藻は微笑んで「精を出すのじゃ。」と励まし、手に持った文を夜叉丸の方へ滑らせた。

返された文を夜叉丸は両手で拾い上げ、再び頭を下げ、光の戻った眼で玉藻を見た。

「進言とお気遣い痛み入ります。勇気が出ました。」

「素直な良い子じゃ。きっと上手くいくぞよ。」

玉藻が花のかんばせの口元に月を描いた。

薔薇と脳髄の向こう

感嘆と共感と畏怖。共に彼岸へ向かおう。