夜叉丸の恋5
「っははははは、そうか、そうか。」
その日の夜、再び夕餉の後に酒呑童子の部屋へ行き昼間の出来事を言うと、鬼はさも楽しそうに声を上げて笑った。茨木は、主のこんな楽しそうな姿を久しぶりに見た気がして、とてもいいことをしたような気分だった。
右手で口元を抑えながら、喉奥で笑いを噛み潰している。薄っすら涙も流している。
気が行くまで笑い飛ばしてから、酒呑は息をついた。
今晩は、下弦の月だった。開け放した障子から差し込む月光が、金色の屏風に反射して室内が明るく感じるのだ。
「うぶで可愛いのう。」
口元はまだ緩んでいる酒呑童子が言うと、茨木もつられて笑い、「うぶ?」と聞き返した。
「あ奴は人の身を持ってからまだ経っていないからな、仕方あるまい。」
茨木が聞きたかったのはそういうことではないのだが、はぐらかす様な返事で返されたということは、答えは教えてくれないのだ。鈴虫の声が、昨日よりも近く聞こえた。
茨木は再び頭領に目を戻した。昨晩とは違う、少し薄手の紫色の作務衣を適当に着て、肩から羽織を掛けている。
「それで、お前はどうしたいんだ。」
今日は日本酒ではなく、血の色をした葡萄酒の入った盃を傾けている。膝の上に頬杖をついて、問いかけた。
「何かお手伝いできることがないかと思いまして。」
頑張り屋の小姓へ、何か副頭領なりにしたいと思ったらしく、肩をすくめて返事をした。酒呑が、葡萄酒に口をつけると、唇に紅い色が移る。血を呑んでいる時の、茨木の一番好きな酒呑の姿に近い。
「あいつの負担にならない程度にな。」
片頬だけで笑うと、茨木の少し不器用な優しさが分かった酒呑は特に止めることもなく言った。酒呑童子は、こちらが何か話さないと自分から話し出すことがほとんどない。
興奮に身を任せて風呂も済ませていない状態で酒呑童子の部屋に飛び込んできてしまって、いきなり何を話せばいいか分からなくなってしまった。
酒呑童子はこういう時に全く表情を変えずに淡々としている。それなのに自分は戸惑ったり、楽しくなったりと色々な感情になる。頭領は楽しくないのかと悩んだこともあったが、この男が異様に不器用で僅かな感情しか表に出さないことをもう長年の付き合いで分かっているつもりだ。でも、何処か寂しさを感じてしまうのは自分の我儘なのだろうか。
今日は一日、何をされていたのだろうと思って聞こうとしたが、どうせ答えてもらえないような気がして言葉を飲み込んだ。
沈黙が続き、酒呑童子も先ほどまでの笑みを消したので、茨木は腰を上げた。
「では頭領、お休みなさい。」
いつもの微笑みを作りながら頭を下げて部屋を後にした。
出来るならもう少し、傍に居たかったのだけれど。と胸中で呟くが、また明日来ればよいと思いなおし、名残惜しそうに障子をゆっくり閉めた。
濃紺の空に銀色の月が浮かぶ。わざとそれに見惚れて、酒呑童子のいる間の傍で足を止めて見上げた。
「茨木。何か先ほど言いかけただろう。」
夜に近い声がして振り返ると、酒呑童子が欄干に腰かけるようにしてこちらを見ていた。
月明かりに背を向けた酒呑童子は、首飾りを指先でくるくると弄びながら首を傾げる。
いつの間にか読まれていた胸中と、気遣いが嬉しくなり、茨木は作った笑みではなく心からの笑みが零れた。
「頭領、今日は一日何をされていたのですか?」
その問いかけに、不思議そうな顔をする彼越しに見上げる月は気づけば金色に替わっていた。
0コメント