夜叉丸の恋4
「これ、夜叉丸、この頃元気がないようじゃが、如何したのかのう。」
翌朝、酒呑童子から貰った扇子で手のひらをぺちぺちと叩きながら台所で作業している夜叉丸に声をかけた。
小さな背中がびくりと跳ねて凍る。勿忘草色の髪を高く結った彼がゆっくりと振り向いた。
いつものような笑顔ではなく、なんだか苦笑いのような表情を浮かべている。
茨木は、おや、と思った。
「ぼ、僕は普通ですよ、いつも通りです!」
分かりやすく全く普通ではない返答をした。
茨木の疑問を払拭しようと、元気さを示すために勢いよく手を挙げる。その手が頭上にかかっていたひしゃくにぶつかって大きな音を立てた。その音に驚いてもう片手で持っていた洗い立ての鍋を落とす。それも大きな音を立てる。
茨木はまるで悪戯が見つかった時の童のような彼の動作に笑いが零れてしまった。
「す、すみません!」
慌てて謝ると鍋を拾い上げ、台所へ置く。
茨木はますますこれでは様子が可笑しい、と思い、斜め上を見て少しだけ考え事をした。
「あの、茨木様?」
恐る恐る背の高い茨木を覗き込むようにして夜叉丸が気まずそうに首を傾げた。
真面目で努力家で何でも卒なくこなすとはいえ、見た目も生まれもまだまだ童に変わりはなく、そんな彼の手伝いを何かできればよいと茨木は思った。
「夜叉丸、この茨木に嘘は許さぬぞ。何かあったのだろう。話してみよ。此処では話しにくいじゃろうから、広間へ行くぞ。」
笑顔はいつも通り可憐だが、言葉にはいいえ、と言わせない気があった。彼女なりの優しさが分かった夜叉丸は、何度か目を泳がせて思案した後、観念して、はい、と言った。
広間からは、一年中咲く不思議な牡丹の花が見られる。確か、時々遊びに来る花鬼の恩恵だったような気がする、と茨木の頭のどこかを過った。その中庭に面した広間の縁側に腰かけ、夜叉丸が淹れた茶を両手で包むように持つ。
昼下がりのきつすぎない日の光が差し込んでいた。爽やかな風が吹いてくる。
夜叉丸は手元の茶に目を落としたまま何か言い淀んでいるようだった。
「話してみれば良い。何か力になれるならばなろうぞ。」
茨木が目を細めて笑うと夜叉丸は茨木の方をちらりと見上げ、「笑わないで下さいませ、」と前置きをして話し出した。
「先日、酒呑童子様にお連れ頂いて遠野へ参ったのです。僕は初めて山の外へ出ましたので、たくさんの妖怪様方にお会いできて、それはそれはとても良い経験をさせていただいたのです。それで、会合になった時、書記を大江山側と遠野側から一匹ずつ出すことになって、酒呑童子様はそれが目的だったのでしょう、勿論僕が承りました。それで、その、遠野の書記の方が、文庫妖妃様という方でした。このお方が、同じ付喪神で、とてもお話が合って、可愛らしいお方で…」
「好きになってしまったのかしら?」
語尾を言い終わらないうちに、背後からつやのある声が響いてきた。夜叉丸が慌てて振り返ると、妖艶な笑みを湛えて絡新婦が入ってきた。
「お蜘蛛。」
姉を見つけた妹の如く嬉しそうに茨木が名前を呼ぶ。夜叉丸は気恥ずかしそうに目線を下げた。
「い、いつからいらっしゃったのですか?」
「お嬢を見つけて、お声かけようと思ったら夜叉丸様と一緒にいらっしゃったの。初めから聞いてしまいましたわ。悪気はないの、御免なさい。」
あまり悪びれている風ではない口調で言うが、夜叉丸は聞かれたのが恋愛経験の豊富そうな絡新婦で良かったと少し胸を撫で下ろした。
絡新婦が近づくと不思議な心地の良い香りがあたりを包んだ。藍色の着物が、景色の中によく映えている。蜘蛛の子が、ちらちらと畳の上を元気よく這い出した。
絡新婦は足音を立てずに縁側までやってくると夜叉丸の横へ腰を下ろす。彼女の体のどこからかまたもや蜘蛛が散って楽しそうに枯れない牡丹の傍まで這う。
妖怪の男に興味がない彼女だが、童の見た目をしている夜叉丸はなんだか放っておけなくて愛らしく思っている。夜叉丸は、絡新婦が近くへ来ると、他の女妖怪達とはまた違う胸の高鳴りを感じるのだった。その主体が何かは判らない。
「それで、夜叉丸様はその女の子とどうなりたいのです?」
座った絡新婦が何処か含みのある言い方をしつつ、湯飲みを持った夜叉丸の手にそっと自分の手を重ねた。夜叉丸は言われたことと良い香りのする絡新婦の行動、両方にどぎまぎして、目を泳がせる。初心な反応に絡新婦は、愛らしい、と思った。
茨木は純粋な好奇心を湛えた表情で夜叉丸の答えを待っている。
夜叉丸は一通り考えてから耳まで赤くなった。
二匹は、一体この幼い顔した付喪神は何を考えたのだろうと一度顔を見合わせると、くすりと笑ってその答えを待った。
蜘蛛の子が、何か感じたのかわらわらと寄ってくる。
逃げ場がないと悟った夜叉丸は小さな声で恥ずかしそうに呟いた。
「…がしたいです。」
「聞こえぬぞ。」
あまりにも小さな声で呟くもので二人には聞こえなかった。茨木が唇を尖らせて催促する。再び黙り込んでしまった夜叉丸が、今度は少し大きな声で言う。
「文通が、したいです。」
予想をはるかに超える初々しい答えに、絡新婦は思わず吹き出しそうになるが、それはどうにかこらえた。見た目通り、初々しく彼らしい答えに安堵した。茨木は、笑いながら「良いのう、良いのう。誠に愛らしい!応援するぞ」と乗り気で頭を撫でた。
夜叉丸はまるでとんでもないことを言ってしまったかのように顔を赤くしてまた湯飲みに目を落としてしまった。その様子を見て、もしかして、付喪神の中では文通が高い愛情表現の地位を占めているのかと疑問に思ったがそれは聞かないことにした。
「まあ素敵、きっと出来ますわよ。」
絡新婦は表情をほとんど変えずに上品に笑うと、冷めてしまっただろう湯飲みに茶を注いでやった。若草色の湯が、だんだんと濃くなり茶葉が二欠片落ちた。
「あ、茶柱。」
茨木の声で夜叉丸の手の中にある湯飲みに目をやると、立派な茶柱が立っていた。ぷかぷかと浮く茶葉のそれを見て、
「あら、これで夜叉丸様の御願いは叶いますわ。」
まだ顔の赤い夜叉丸の頬を撫でてから、絡新婦が言った。
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