夜叉丸の恋2
「最近、夜叉丸様の様子が可笑しいんだよう」
夕餉を食べ終わった後、暁音童子が扇子で口元を隠すようにしながら言った。
確かに可笑しいですわね、と鬼鈴も頷いた。鬼童丸だけが、そうかぁ?と呑気なことを言っている。食べ過ぎたのか、腹を摩っている。今日の食事は、旨かった。二条城から確か、旬の魚と調味料が届いたとか、金熊様が言っていたような気がする。あまり細かい味はわからないけれど、美味しかったなあ、と鬼童丸は思っていた。
膳が片づけられた広間で三人はごろごろと寛いでいた。
夕餉が終わるや否や、皆は散り散りになって自分の時間を楽しもうといなくなってしまう。しかし、三人はよくこの広い部屋で駄弁るのが好きだった。自室も勿論好きなのだが、広い場所で好きなように寝っ転がったり、ふざけたりできるのが楽しい。ここに竜宮童子や咆狼、出灰童子や砕狐がいることもあるが、竜は風呂に早く入りたいといって行ってしまったし、咆狼は見回りがあるので外へ出てしまった。出灰は薪割に出てしまったし、砕狐は偵察に行った。だから今日は三人だった。
くだらない話とか、次の百鬼夜行の話とか色んな話を誰となしに始めるのが常なのだが、今日は暁音童子がいつもと違う様子で声を低くいったので、思わず鬼鈴も身をかがめて眉根を寄せた。鬼童丸は全くそんな空気に反応はせず相変わらず後ろ手をついて足を投げ出している。
月はもうてっぺんくらいまで昇っていた。
薄墨を塗り重ねたような闇が広がり、そこを上書きするようにぽつりぽつりと灯った蝋燭が弱々しく光っている。締め切られた障子に三人の影が大きく映し出された。
外からは、鈴虫が静かに鳴いている。
「今日だって、可笑しかったじゃないか。気付かなかったのか?」
「はぁ!?全然わかんねー!逆になんで気づくんだよ!」
「明らかに可笑しかったですわ。だって、あの夜叉丸様が、お味噌汁をこぼしたのよ。それに、ずっと上の空だったし。」
「言われてみれば、なんか、変だった、かも?」
「全然わかってないじゃないですかあ。」
首をひねる鬼童丸を軽く小突くと暁音童子はうふふ、と笑った。鬼鈴もそれにつられてゆるりと口元に弧を描いた。子供っぽい鬼童丸がなんだか面白い。なんだっけな、むうどめえかあ、だったっけな。
「悪かったなぁ、わかんなくて!」
口を尖らせて半分自棄になった鬼童丸が四肢を投げ出して畳の上に寝転がる。天井に描かれた四獣の絵と目が合って少しだけ気まずくなった。藺草の匂いがつん、と鼻につく。鬼童丸は何故だか懐かしい気持ちになった。
「食事の後に寝ると、牛になるんでえ。」
あはは、と子供っぽく寝っ転がった鬼童丸を見て暁音が笑う。続けて、鬼鈴も冗談めかしながら言う。
「これぞ本当の牛丸ですわね、もうもうまると呼んだほうがいいかしら。」
「おいやめろよ!」
鬼童丸が頬を膨らませて二人を咎めるように手を挙げた。
そのとき、ぱたぱたと歩く音が聞こえた。鬼鈴がそれに気づいた。
三人がそちらを向くと、あ、と鬼童丸が声を上げた。
噂の主がいつもより上の空の様子で歩いていたのだ。
「あっ、夜叉丸様!」
「まじか、おーい夜叉丸、今度の読み聞かせいつだよー?」
反射的に身を起こした鬼童丸の大声も、廊下を歩いていた夜叉丸には届いていなかったようだ。なんだか呆けたような顔をしたまま奥殿のほうへ歩いて行ってしまった。ぱたぱたという足音だけが残されていった。
「…ありゃぁ、様子が可笑しいなァ。」
それを見てようやくわかった様子の鬼童丸の言葉で、三人は顔を見合わせた。
廊下を挟んで合い向かいの兄の部屋からは、池の上に浮かぶ酒呑童子の庵が見える。
「夜叉丸が何やら上の空じゃな。」
兄の部屋でゴロゴロと寛いでいた星熊が、開け放したままの襖から見える主の池に目をやったまま吐息と共に言った。黙って酒を飲んでいた熊童子は不思議そうに片眉を上げてそれを返事とした。何となく気配でそれを察知した星熊はそのまま話を続けた。
「このところ様子がおかしいのじゃ。さっきも呆けていて茶を注ぎ過ぎて零していたしのう。兄ィは何か気づかなんだ?」
「…いわれてみれば思い当たらぬこともない。」
低い声で短く素っ気ない返事をしたが、これは熊の癖だ。初めの頃は嫌われているのかと星熊は不安に思ったのだが、暫く経ってからそれが癖なのだと気づいて胸を撫で下ろした。
「じゃろ!?気にならんか!?」
大好きな兄から肯定の言葉をもらえれば星熊は嬉しそうに身を起こしてその目を見つめる。
星の形をした銀色の髪が彼の動きに合わせて生き物のように揺れる。
「……気にならないと言えばうそになるな。」
星熊のきらきらとした、好奇心が爆発している隈取の入った目をちらりと見て、熊は頷いた。ここまで言われると、確かに異変を感じざるを得ない。意識はしていなかったが、思い返せば要領のいい夜叉丸がなんだか今日は元気のないようにも見えた。どうにかしてやりたいという気持ちが生まれた。
が、星熊が何やら急いてことをひっくり返すような気がした熊は顎に手を当てて考える。
この事を主様が知らないわけがないな。いや、一応余計な世話かもしれないが知らせたほうが良いだろうか。
夜叉丸は、屋敷の大切な小姓であり、仲間だと熊は思っている。それはきっと山の皆も同じだろう。彼の異変を早めに察知していれば、何か問題が起こるのを防げるかもしれないと考えていた。
酒呑童子に知らせようかと思案したが、あの勘の良い主が気づいていないはずはないと思えば、頭を悩ませた。
「夜叉丸に直接聞いてみるか!」
星熊はもうこのことに首を突っ込む気満々だ。好奇心旺盛で何にでも関われるのは彼の美徳だと思う。今にも室内を飛び出していきそうな星熊の頸根を掴んで座らせる。
畳の上に星熊が正座して何か言いたげに熊を見上げた。
「焦るな。直接聞くのではなく、何かうまく遠回しに聞くのが良い。俺に任せろ。」
幹部として、何か頑張っている夜叉丸の力になれればよいとの思いも生まれ、勿論興味の部分もあったのだが、自分が話を聞こう、と言った。
柔らかい月の光が斜めに差し込んで物の少ない、殺風景な室内を照らし出している。
星熊は、自分も何かしてみたかったのだが、兄が動くといわれ、肩をすくめて大人しくなった。
「我も何か手伝えぬかの。」
「困ったことがあったら俺がお前に相談する。お前は器用だからな。」
寂しそうにつぶやいた星熊の言葉に熊が返す。
力強く兄に誉められると、星熊は嬉しくなって、それをかみしめるように月を見上げた。
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