【シキケン】酒が悪い。
わかっている。
人の行動を制することはその人を尊重していないのと同じだ。
ましてや、自分と違う境遇にいて、自分よりも将来が明るい彼のことを、自分の言葉で縛り付けることなんてしてはいけないと、わかっている。
わかっているのに、つい口に出してしまいそうになる。
そんな自分が嫌だった。
こんなモヤモヤした気持ちになることなんてなかなかないのに。
昨日、彼が大学の飲み会に行くと言って、興味本位でその近辺に言ったのが間違いだった。
彼──織田ルカが珍しく大学の同期に誘われて忘年会に顔を出すと言われた時、少しだけ胸が痛んだ。
別に伝えていたわけでもなかったが、たまたま仕事を早く切り上げられそうだったので、久しぶりに映画でも見ようと誘うつもりだったからだ。
彼らの生活リズムは真逆だ。ルカが大学に行く時間くらいに巽は家に帰るし、巽が家を出る時間にルカが帰ってくる。
高校を卒業してからは一緒にいる時間が圧倒的に減った。
しかし、自分が誘えばルカは飲み会を断ってしまうんじゃないかと思い、それを飲み込んだ。
せっかく行くと決めたものだ。大学での人間関係がどうなのか知らないが、交友関係は大切にしてほしい。自分のわがままだけを通すわけにはいかない。少なくとも、ルカにはいつも甘えてしまっている。
そんなことを考えながら、何食わぬ顔で「行ってきなよ」と見送ったのだ。
昔からひとりで家にいるのが好きじゃない巽は、その日も無理に仕事を入れて、どうせならとルカが教えてくれた居酒屋がある繁華街の方へ赴いた。
「早く帰れるって喜んでたのにいいんスか」
最近組に入ってきて、巽が面倒を見ている灰賀が声をかけてくる。
「結局予定もなくなったしいいのいいの」
「はぁ。別に俺一人でも大丈夫ですから、偶には休んでくださいよ」
「え~家でひとりじゃ休むに休めないからヤダ」
灰賀が本心で嫌がっているわけではないとわかっている。だから無理矢理こうしてついてきたのだ。
繫華街には、人がごった返していた。
年末の忘年会シーズンだ。大学生らしき軍団からサラリーマンの団体まで、色々な年代の人がいる。密かにその中に彼が居ないか探すが、この人の数では見つかる気もしなかった。
「‥‥‥そういえばうちの組って忘年会とかあるんスか?」
「さ〜どうだろう?若頭が存命だった頃はなかったけど、時任さんとかに声かければやってくれるんじゃないかな?灰ちゃんあんまそういうの好きじゃなさそうなのにやりたいの?」
「別にやりたいわけじゃないっす。気になっただけなんで」
そんな話をしながら、人の間を縫うように歩き、神谷組直営のバーや居酒屋数件に顔を出した。
思ったより早く、やることを終えてしまった。
普段なら顔を出したバーや居酒屋で一杯ひっかけるのだが、どこも年末のせいで混み合っていてそれどころではない。
「巽さん、何時にあがります?もう終わりますけど」
「どうしよっかな~思ったより早いんだけど~灰ちゃんは?」
「‥‥‥巽さんに合わせます」
「マジ?じゃあ一軒どっか寄ろ。持つべきものは良い後輩だね」
灰賀の返事を聞いて唇の端をあげる。灰賀は巽から目をそらした。
「ねえお兄さんたち、良ければうちの店どお?」
「え、てか2人ともめっちゃかっこよくない~?」
客引きをしていたガールズバーの店員らしき女性2人が近づいてきた。
「すいません、俺この人と2人で飲むんで」
巽が上機嫌で答えようとするより早く、灰賀が女性たちの前に立ちはだかる。
「は?なにこわっ」
「やばいよ、もういこ」
180㎝を越える男に凄まれて、女性たちはさっさとどこかに消えていった。
「可愛い子たちが声かけてきてくれたんだから全然行っても良かったのに~」
「客引き行為禁止してるのに破ってる店なんか行ってもしょうがないでしょ」
「まあね~‥‥‥あ」
会話をしながら周りを気にしていた巽が小さく声を上げる。
焼肉屋を出たすぐにいる真面目そうな大学生の集団の中に、見慣れた顔を見つけたからだ。
「知り合いですか?」
「うん~」
「声かけます?」
灰賀に言われて、少し悩んだ。
ルカがあまり自分に見せない大学生の顔をしていたからだ。
彼の物腰柔らかな言動と甘い顔立ちは高校時代から人気があった。大学にあがって少し大人っぽくなったせいで、色気が出てきたようにも思う。
現に、その場にいる女の子の数人はルカのことを気にしながら会話をしているようだ。
「は~いつか彼女とかできちゃうのかな~」
「は?」
「あれ、今声出てた?」
「めっちゃ出てました」
「あはは、ごめん!いいや、みんなで楽しそうだし」
僅かに滲んでしまった寂しさを誤魔化すように笑顔を作り、背を向けた。
「朝まで飲むか~」
「嫌です、俺明日も仕事なんで」
きっぱりと断ってくる後輩を笑いながら、どこかその虚しさが残ってしまった。
だから、いや、だからというわけではないが、それも因してこの体たらくというわけだ。
結局あの後なじみのバーに顔を出した。忘年会二次会として来た人たちに巻き込まれて、(半ば意図的に巻き込まれに行って)浴びるように酒を飲んだ。
巽はかなり酒が強い。大抵の場合つぶれることはないというのに、今日はだめだった。
ドンペリやアルマンドといったシャンパンを数本飲み、その場の勢いに負けてテキーラタワーなんかをやったのが良くなかった。
良くなかったけれど、飲まずにはいられなかった。
「巽さん、家どこですか」
朦朧とする意識の中で灰賀の声が聞こえる。こんな状態で帰ったらルカに怒られちゃうな、と思った。
「家は‥‥‥」
スマホで地図アプリを出そうとすると、ちょうどルカからメッセージが入った。
”巽くん、今日仕事遅いの?”
ルカの方はもう終わったんだろうか。もう家に帰ったのだろうか。
午前2時。とっくに帰っているか。
”よった、もうかえう”
おぼつかない指先でメッセージを打つと途端に眠気が強くなった。
「タクシー呼んだんで、送ります」
「え~いいよぉ、わるいからぁ」
「だめです。ほら、俺の肩に手まわして下さい」
面倒見の良い後輩だなあ、と思いながら言われるがまま自分より少しだけ背の高い灰賀の肩に手を回した。
”どこいるの?迎え行こうか?”
ちょうどタクシーが来る。灰賀に押し込められた。
「巽さん、住所言って」
促されるまま住所を運転手に伝え、シートにもたれた。
こんなに酔うのは久しぶりだ。いや、初めてかもしれない。
”おくってもらうからへーき、ねてて”
そう送ってから、自分の方が瞼を閉じてしまった。
「でっか」
予想だにしていなかったタワーマンション前に降ろされて、灰賀は思わず口に出した。
都内の一等地のタワマン。何階建てかも見当がつかない。
「巽さん、何号室ですか。鍵は?」
ほとんど眠っている巽に話しかけると、寝ぼけた声で部屋番号が返ってきた。
巽が目をつぶったままごそごそとポケットを探り、鍵を渡してくる。
年季の入った青いリボンがついた鍵だった。
巽の持ち物からは想像していなかった可愛い鍵を見て、彼女と同棲しているのだろうか、などと考える。
マンションのエントランスにあるオートロックの機械に鍵を差し込み、エレベーターに乗った。
うつらうつらと舟をこいでいる巽を支えながらエレベーターの表示を見つめていた。
巽が言った部屋番号の前までやってきて、先程渡された鍵で玄関を開ける。
「巽くん?おかえり‥‥‥」
起きていたルカは玄関先まで来て、ぎょっとした。
「はじめまして。巽さんの後輩です。酔いつぶれたんで、送ってきました」
てっきり可愛い彼女を想像していた灰賀も驚いたのは言うまでもない。
「ああ、有難う」
「巽さん、今日夜休みだったんですけど家に一人でいたくないからって言って繁華街に来たんスよ。寂しそうだったんで潰しました」
「は?」
ルカの瞳が少しだけ違う色を帯びた。
「俺はいつでも空いてるんでまた誘ってくださいって言っといてください」
自分たちよりも少しだけ背の低いルカに巽の身体を預ける。
「じゃ」
バタン、とドアの閉まる音で巽が目を覚ました。
「あれ、家‥‥‥」
「巽くん」
「ん」
自分がルカに支えられていることに気づいて、そのまま抱きしめた。
「どうしたの」
「よった」
酔っぱらってるから、余計にルカに甘えたくなるんだ。
そう自分に言い訳して風呂上がりの匂いがする彼の肩に顔をうずめた。
まだ酔いは醒めていない。
「おいていかないで」
柄にもない泣き言みたいな、かっこわるいことを行ってしまったのも、全部アルコールのせいだ。
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