弥勒忌憚3

此処三日間、完全に避けられている。

顔も見ようとしない。何か話しかけようとしてもすぐにどこかへ行ってしまう。それに、二人きりにならないように常に誰かといる。

隙を見て二人きりになろうとしても、誰かが必ず邪魔をする。

惣次郎は苛ついていた。

あんなことをしてしまった自分を一度は責めたけれど、やっぱりそれでもあからさまに避けられていると頭に来た。弥勒に対して怒りの感情が沸くのはあまりないけれど。

半分は自分に対してかもしれない。うまく弥勒の心を捉えられなかった自分に嫌気がさしていらいらしている。

もっとうまくやっていれば。

後悔がぐるぐると頭の中を回った。

でも、弥勒の泣いた顔は堪らなく興奮した。だから、後悔はしていない。これからまたゆっくり時間をかけて自分のものにしていけばいい。

仕方がなかったんだ、と自分に言い聞かせる。

弥勒の顔が目の前をちらつくと、すぐ目で追いかけてしまう。誰かが隣にいたりすると堪らなく嫌だった。

早く、早く取り戻さないと。でも、焦りは禁物だ。ゆっくり、ゆっくりでいいから確実に、逃げないように手繰り寄せないと。

それでもやっぱり弥勒の黒髪や威勢のいい声がないコンクリートの部屋は寂しかった。

弥勒は完全に油断していた。ここまで徹底的に避けていれば、惣次郎でも傷ついてもう何もしてこないだろうとたかを括っていた。

土下座して謝ってきたら許してやらんでもないな。

俺はそれまで部屋には帰らないからな。

図書館で一人、調べ物をしていた。自分の両親を殺した妖怪について突然何か調べたくなったのだ。弥勒は結構突発的に行動する。

半分は自分も忘れたかったから、何かしていないとあの事を思い出してしまいそうだったからかもしれない。誰かとずっといてばかりだったので少し疲れていた。

一人で図書館へ来るのは久しぶりだった。

この時間なら、惣次郎は訓練の最中だし、大丈夫だろうと思っていたのだ。

日中のこんな時間に図書館を利用するものなど居らず、広い部屋の中で弥勒はひとり、本を探していた。

図書館の、奥の方に誰も見ないような古い文献が積まれている。こんな奥まであったのか、と驚くような場所まで来ると、本の背表紙を舐めるように目でなぞっていく。

自分の目線よりも上の方に気になる題名があった。

本を取ろうと手を伸ばすが、届かない。あと少しなのだが。

背伸びをしても駄目だ。

周りを見回すが踏み台らしきものも見当たらない。

「台用意しておけよクソ」

悪態をつくと何度か飛び跳ねて手を伸ばす。誰かに見られたら恥ずかしい。そんなことを思った。椅子でも取りに行けばいいんだろうけれど、面倒くさい。

「取れねー」

手を伸ばしたままの状態で口をへの字にした。

「これでいいの?」

低い声がしたかと思うと、後ろから手が伸びてきて取ろうとしていた本の背表紙をなぞった。

弥勒の背筋が伸びた。唇を噛む。背中を、冷たい汗が流れたような気がした。

「あ、嗚呼。」

問いかけに息を吐きながら答えると、恐る恐る後ろを振り返った。

口元に緩い弧を描いた惣次郎が立っていた。

眼は笑っていない。

条件反射的に弥勒は逃げようとした。が、本棚に押し付けられていて、惣次郎の腕で逃げられない。

「悪いな惣次郎、じゃあな。」

その手をどけて逃げようとする。惣次郎がそれを許すはずがない。腕を逆につかまれてしまった。惣次郎の長い脚が、弥勒の脚の間に絡んでいる。

「逃げないでよ弥勒。」

惣次郎が顔を覗き込んでくる。あ、こいつまつ毛も茶色いんだ。となんだか呑気なことを思った。顔が近い。思わず横を向いてその視線から逃げた。

「逃げてねえし。調べ物があるだけだし。」

「後で一緒に調べてあげるよ。…覚えてるの、弥勒。」

「何のことだよ。」

「四日前のこと。」

「さぁ~?全然何も覚えてねえわ~俺たぶん酒酔ってたし。」

直球で聞いてくる惣次郎に戸惑いながら嘘をついた。酒など、飲んでいなかったのだが。

目をそらして答える弥勒の視線を捉えるように顔をそちらへ傾ける。怯えているような弥勒がたまらなく可愛い。

「嘘つき。覚えてるから逃げたんでしょう。」

「うるせえ!つか、あれだろ、惣次郎。お前も思春期だから、間違えたんだろ?ここ男ばっかだし、お前は遊郭とかで遊ばないし、俺ほら、髪長いから。もう忘れようぜ、なかったことにしてやるよ。お前の筆おろしが流石に男じゃかわいそうだしな。うん。俺が今度責任もって遊郭連れてってやるから、な?」

一気に早口でまくし立てた。作り笑いを浮かべながら弥勒も半分は自分に言い聞かせていた。あれは間違いだったんだと。

惣次郎の顔から表情がなくなった。何を考えているかわからない。表情が全く読めないのだ。少しだけ弥勒の作り笑いがひきつった。

「間違ってないよ。俺は、ちゃんと言ったよね。弥勒が好きだって。」

「あ~、よくあるよな、ヤッた後って、そういう勘違いしやすいし。あ、俺も昨日そんな感じだった!昨日の子がさ、薄暗い中で見たら超かわいくってさ~胸もおっきくて、超相性良かったわけ。だから付き合いたい好きだ~って思ってたんだけど、朝起きたらそんな可愛くなくって。だから、そういうのだろ!な!」

「……十五年。」

「は?」

「俺は十五年ずっとだから。好きだったの。勘違いじゃない。」

「…」

「弥勒、好きだよ。ずっと好き。」

「…なんなんだよ。なんなんだよ、惣次郎てめえ!お前は泣き虫で、俺の子分で、友達もいなくて、それで一緒にいただけだろ!俺たち幼馴染だろ!こんなのおかしいだろ、やめろよ、弟みたいな顔してずっとついてきてたのに、いまさら何言いだすんだよ!」

小さかった時のことが脳裏に浮かんだ。昔の面影があるから尚更、惣次郎の言をどう受け止めればいいかわからなかった。思っていないようなことまで言葉が零れる。惣次郎の圧と熱が重いくらい弥勒の体にのしかかった。

「お前はさ、大きくなったのは身体だけだから!俺はガキの頃からお前は変わってないと思ってるから!いつまでもお前は俺様の子分から上がれるわけねえんだからな!」

「弥勒」

びくりと震えた。低く感情が読めない声だった。

「怯えなくていいんだよ。弥勒は、俺のこと好きになるのが怖いの?」

「は…怖くなんかねえ…怯えてなんかねえから…」

図星だった。惣次郎の目を真っすぐ見るのが怖くなった。視線を落とす。

「好きだよ、弥勒。愛してる。」

やめろ、耳元で囁くな。

すぐに噛みつこうとしたが言葉が出てこなかった。口の中が乾いている。惣次郎の、不思議な洗剤の匂いが弥勒の頭の奥を麻痺させた。

「弥勒。子分の言葉でもう勃ってるよ。」

脳髄に痺れる声で、惣次郎が言った。驚いて弥勒が下を見るとズボンの上からでもわかるくらいにまで張りつめていた。

「せ、生理げんしょ…」

「あれ、昨日遊郭行ったんじゃないの?」

「いった…」

「それなのにもうこんななの?弥勒、体力就いたんだね」

「…」

「抱けなかった?」

「う、うるせえ!」

思わず顔を上げてしまった。唇を奪われる。息が苦しい。すぐに唇を割って舌がぬるりと入ってくる。口の中をかき回されて力が入らない。

鼻から可笑しな吐息が漏れた。

惣次郎の手が、臀部の割れ目の方へ行く。太ももが痙攣した。

「しり、いたい」

「痛いの?四日前なのに、身体は俺のこと覚えてるんだね。」

「ち、ちがう」

「違うの?じゃあ、忘れないようにしないとだね。」

そういうと、惣次郎はもう涙が零れるのをぎりぎりで堪えている弥勒に微笑んだ。弥勒が何か言おうとしたのを再び唇で黙らせる。吐息だけが本棚の間でこだました。

薔薇と脳髄の向こう

感嘆と共感と畏怖。共に彼岸へ向かおう。