冬の話


ゴウンゴウンだか、わんわんわんだか、そんな音を立てて空気清浄機が、まるで私が纏う空気そのものが汚染されているかのように潔癖に作動していた。
昨日はなかなか温暖で、春の匂いもしていたというのに今日は金属の研ぎ澄まされた切っ先のような寒さである。
むしろ、雪が降るまいかとさながら童心に還ったかのように早打ちする鼓動を羽毛布団の中でぼんやりと考えたものだ。
寒いなら寒いで何かあってくれれば(漠然としているこの非日常を求める願望は時々私の中に生まれるのだ)そちらに気がいって寒さなど気付かないというものなのである。
雪というのを見たことはある。
つい一ヶ月前程に降ったのは記憶に新しい。雪のあの、なんだか荒廃して傷ついた街を覆う包帯のような優しげにまとわりつく白が好きだった。
雪が降っていない時には別に傷に見えるとか荒廃しているとか思うわけではなかったのに、何故だか雪が降ると街が突然傷ついたもののように見えてしまっていた。
無辺でいてそれでもなお彩りのある白は、見知った街を廃墟に塗り替えてしまう力を持っていたのである。


今月の頭、雪国へ行った。
トンネルを潜ると、雪国だった。
雪は音を吸収するんですよ、と友人が教えてくれて、きっとこの事は知っていたはずなんだけれど、妙に雪の静けさを意識するようになった。
海と山に挟まれた土地は、潮風の息吹によって少しだけ茶色く錆があった。車道を避けるように道路の脇に高く積まれた雪の壁が妙に見慣れないと思った記憶がある。
私が訪れた時、雪が降った後で、よく晴れた日だった。
それもあってか白さが眩しくて仕方がなかった。白は光を反射する色であるから仕方がないとは思うのだが、それ以外にもなんだか眩しく見える理由があるような気がした。
街には常に雪があるからか、それとも見知らぬ街だからか、廃墟のようだと思う事はなかった。雪国であることがその街を街たらしめていることなのだと気づいたのは後になってからだった。


冬は灰色になる。
雪が降るとその灰色が白に近くなるのだ。
だから、もしかするとその灰色の部分を払拭したくて私は無意識的に白を求めているのかもしれない。
空気清浄機が、動きを止めた。
冬ならではの、虫の声も鳥の声もしないあの静けさだけが鼓膜を震わせるようになった。

薔薇と脳髄の向こう

感嘆と共感と畏怖。共に彼岸へ向かおう。