【シキケン】NewYorkCityBoy‘s Lover
「愛はドラッグに似ているんだ」
ウイスキー片手にそう言った親友は彼女にフラれたばかりだった。
NYの粗野な下町で俺は育った。物心つく前から母さんは家にはいなくて、空っぽの家の中じゃ孤独に押しつぶされそうで、居場所を求めて街をうろついていた。
声変わりもしていないような子供が1人で歩いても、ストリートチルドレンがわんさかいるあの街じゃ目立ちもしない。俺はよく、路地裏のビール箱の上に座って人が流れていくのを見ていた。飽きもせず人の往来を眺めていると、俺もここに馴染めているような気になる。
時々家にいる母さんは俺の顔を見れば日本語で何かを捲し立てる。日本語で会話という会話をしたことのない俺は母さんが何を言っているのかわからなかった。ただ、母さんが俺に憎しみを孕んだ目を向けていることはわかっていた。
空想と人間観察ばかりしていた俺は妙に達観していて、子供ながらに「母は自分がいると怒る。母のために出来るだけ家にいないようにしよう」なんて気を回してよく出かけていた。
今思えばそれが母さんの神経を逆撫でしていたのかもしれない。子供らしく、手放しに甘えてみた方が可愛げがあったのかもしれない。…いや、甘えてみたこともあったが拒絶されたのを今思い出した。撤回しよう。
とにかく、大人ぶっているように見えたのだろう。母さんはいつだって俺を煙たがった。
路地裏でいつも通りうずくまっていると、柄の悪い奴らのサンドバックにされた。子供相手に殴る蹴るの暴行をして憂さ晴らししようという、愚図集団だ。その餌食になった。
言うのにも抵抗したくなるような汚い英語を好んで使い、自分たちがさも強いかのように見せている。哀れな奴らだ。
痛みがなくなるほどボコボコにされているところに、別のグループが現れた。一番図体のいいスキンヘッドの男がチンピラの首根っこを掴んであっさりと引き剥がした。これが、のちに親友になる男だ。
彼はこの辺りを締めているギャングの頭だった。ちょうど「チルドレンボクシング」が流行っていることを聞いてその愚図たちを排除しようとしていたところだったらしい。俺を蹴っていた奴らは一瞬で地べたにキスをする羽目になった。
目を見張るほど鮮やかだった。宙を舞う派手なスカジャンのことではなく、彼らの手捌きの方だ。
喧嘩なんかしたことのない俺でもわかるような、無駄のない動き。その時、黒い革ジャンとシルバーのリングが妙にカッコよく見えたんだ。
「ボウズ、やられたらやり返さなきゃ、男じゃないぜ」
そう言って笑った彼は、俺に手を差し伸べた。
気に入ってくれたのか哀れになったのかわからないが、それから、彼はいろいろなことを俺に教えた。強くなければ男じゃない、負けたら終わり。NYで人を信用するな、自分だけ信じろ。俺が初めてちゃんと関わった人間だった。少しばかり悪さもしていたが、筋の通っている人だったと思う。
家のことも聞かれた。母は家にいないこと、父親は顔も知らないこと。事実はそれだけだ。彼は激しく憤慨して今にも家に怒鳴り込みに行きそうだったので止めた。母親が憎くないのか?と聞かれたが、俺は「憎くないよ」と答えた。強がりでもなんでもなく、母さんのことは嫌いじゃなかったから。
彼は出来るだけ俺に構ってくれるようになった。酒やたばこをやったり、ちょっとした「お仕事」をやったりした。喧嘩もたくさんした。俺もギャングに入れてくれと言ってもガキは要らない、と返されてショックだった。でもそれは彼なりの優しさだったんだと今なら思える。ギャングに入っていたらきっと俺はずっとNYで警察に追われて過ごしていただろう。彼は俺をそういう風にはしたくなかったんだ。
声変わりをしてそれなりに身長も伸びた頃、彼が言った。
「愛はドラッグに似ているんだ」
数ヶ月しか付き合っていない彼女にこっぴどくフラれた彼のヤケ酒に付き合っている時だった。彼は経営しているストリップ小屋のバーカウンターでそう言った。
ウイスキーを何杯も空けて、酔っ払いながらの話だった。
「ドラッグ?」
「そう。愛っていうのはな、知れば知るほど欲しくなる。しかも前のじゃ満足いかなくなるんだ。もっと強いの、もっと良いものがほしい。そうなるんだ」
「そうなんだ」
「まあお前はドラッグもやらないからな。タツミ、お前は良い男だ。なぜなら俺が育てたからだ。それに見てくれも良い。そんなお前は多分これから色んな女、いや男もあるかもな。とにかく、そういう奴らに愛している、好きだ、と言われる。でもな、全部信用して真に受けて溺れたらダメだ。本当の愛に気づけなくなっちまう。」
「本当の愛?」
「他のものなんかいらない、この愛なら溺れても良い!と思う愛だ。タツミ、俺はお前を愛してる」
「…なんだよ、急に!」
「これは本当だ。でも、LOVEじゃない。FrendshipとFraternityを煮詰めて濃くした感じだ。つまり、愛は一つじゃない。」
「…」
「でも、本当の愛は一つなんだ。お前のハートにすっぽりハマる愛は一つ。それまでにたくさんの愛をハメすぎたらハートは麻痺しちまう。その結果、ドラッグみたいに依存する。」
「じゃあ、本当の愛を見つけるまではどうしたらいいの?」
「依存しすぎるな。これもドラッグと一緒。少しくらいやっても良いんだよ。でもずぶずぶになるな。そして、お前も愛を返すんだ」
「…難しいね」
「…まあ、いずれわかるさ」
そう言って彼は笑った。酔っ払ってはいたが、酩酊しているわけではなさそうだった。
そしておもむろにハッパの巻かれたたばこを取り出して吸い始めた。肩を竦めて半ば呆れつつ、彼に言われたことを理解しようとした。
その数日後に彼は新しく恋人を作っていた。
そして数年後、彼は死んだ。元々敵の多い人だったからいつかはこうなると思っていたし彼もそう言っていたが、いざいなくなると俺は空っぽになったようだった。ひとりぼっちに戻った。彼のチームの奴らは、彼がいたから俺に構っていた。彼への義理だても無くなってつるむ必要がなくなったんだ。ひとりで街を歩くと、彼との思い出を作りすぎていたことに気づいた。この路地裏でよく溜まったな、とかこの店で初めてハンバーガーを食べさせてもらったな、とか。そんな思い出ばかり蘇ってきて、耐えられなくなった。
彼と出会わなければ、こんなに辛い思いをしなくてすんだのかな。
そんなことが過った。
そんなタイミングで、日本にいた父親から連絡が来た。珍しく母は俺に上機嫌で話しかけた。日本語はわからないというのに、ニュアンスだけでなんとなくわかってしまった自分が嫌だった。
「金をやるから息子を日本に送れ」
母は俺の代わりに大金を手に入れるようだ。俺はそれでも良いかと思った。お金に困って体を売ったり、酒に溺れたりするくらいなら俺を売って良い生活をしてほしい。そう思った。
NYに彼以外の友人はもういなかったし、彼の面影がちらつく場所には居たくなかった。
家を出る時、母は珍しく家に居た。会えなくなるかも知れないし、何か言おうとする前に母が口をひらいた。
「もう帰ってこなくて良いから」
辿々しい英語だった。
「ありがとう母さん。昔買ってきてくれたケーキが美味しかったのよく覚えてる。幸せになってね」
俺の英語が母に伝わっているのかわからない。ただ、鼻を啜る音だけは聞こえた。
一度だけケーキを買ってくれたんだ。
俺の母さんとの幸せな記憶はそれだけ。
俺はその記憶だけを持って日本に行く。
「Love is like drugs.」
ふと思い出して呟くと、もう居ない彼の声が聞こえてくるようだった。鍵をかけていたはずの箱が少しだけ開いて俺の心の中に寂しさを思い出させる。
自分を誤魔化すのは得意だ。溢れてくる感情に蓋をしてしまった方が、辛くなく生きていける。そんなことを考えたら、酔いも覚めてしまった。
「ん…」
わずかな寝息が俺を現実に呼び戻す。ソファの上で眠っているルカの顔を見たら一瞬だけ顔を出した孤独が引っ込んだ。
日本に来て、色んな出会いがあった。NYにいた頃より過ごした時間は短いはずなのにこっちにいる方が長い感覚になる。もうなにかを失って悲しい思いをしたくない、そんなわがままな理由で俺は大切な人を作らずにひとりで生きていこうと思ったのに。もう今じゃそれがいとおしくて仕方がなくなっている。
日本でも、たくさんの愛の言葉をもらった。それがloveなのかlikeなのか、はたまたFrendshipなのかは俺にはまだわからない。
どんなに女の子に愛していると言われようと、身体で結ばれようと、俺のハートはまだ一つ足りない。
ハートにぴったり収まる愛を知るのはまだ怖い。
そしてそれを誤魔化すように俺はたくさんの愛をちょっとずつつまみ食いする。
「まだ俺には分かんないよ、アヴィ。」
俺の部屋から見える夜景は、NYに似ている。
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