酷い夢を見ていた気がする。

完全に締め切られていなかったカーテンの隙間から差し込む光で目が醒めた。かすかな小鳥の声ですら耳障りに感じる。ヴィンセントは眉をひそめた。頭がずきずきと痛む。

「起きた?」

その声が聞こえただけで妙に安堵した自分に腹が立つ。

ウィリアムは足元の方にあった素朴なテーブルの上に腰かけていた。暗い室内はカーテンの薄い隙間のおかげでぼんやりと明るい。白く細い煙草の煙が立ち上っていく。

「水でも飲めよ」

ごく自然な流れで枕もとの水差しを持ち上げ、残り少ない中身をグラスに注いだ。ヴィンセントは渡されるがままその水を流し込む。

「今何時だ?」

いささか落ち着いたが完全に起きていない頭のままぼんやりとウィリアムに尋ねる。右手にはめた時計をちらりと見てから「11時だけど」と返事した。

「しまったな。帰らないと」

「帰らないとって、おい、まだ具合よくないだろ」

「そんなことを言ってられない。仕事をしなくちゃいけないんだ」

「休暇は夕方までだろ?何の仕事だよ」

「生徒たちが帰るまでに罰則生徒の貼り出しと手帳のクラス分けをする」

それを聞いてウィリアムは呆れた。そんなの教師がやればいいことだろうと思う。

そんなウィリアムにお構いなしにヴィンセントはおぼつかない足取りで起き上がり、上着掛けの方へ寄って袖を通した。

細い背中を見て煙を吐き出す。

「忙しいもんだな、監督生ってのは」

しばらく思案したあと、ようやく吐き出せたのは皮肉だけだった。緩く頭を振り出掛かった言葉を飲み込む。ヴィンセントを怒らせたり傷つけたりしたいわけじゃない。あくまで自分は心配なんだと伝えたかったが、ヴィンセントはそれすらも煩わしく思うだろう。

「お前がそれでいいなら別に止めないけど、いつも面倒見てる俺の身にもなれよ」

嗚呼しまった、言葉を間違えたと思った。ヴィンセントの動きがぴたりと止まり、ゆっくりと振り返る。暗く沈んだ瞳がウィリアムを見た。

「別に僕は面倒見てくれとも助けてくれとも言った覚えはない。面倒だと思うならもう関わるな」

「…」

有無を言わさない冷たい湖のような瞳に、ウィリアムは何も言い返せなかった。良い言葉も思いつかなかったし、いまさら何を言ってもヴィンセントは聞く耳持たないだろう。自分の不器用さ、というか妙にささくれ立ってしまう性質を心から恨んだ。

「...わかったよ」

お手上げだというように肩をすくめた彼を落ち着けるために自分が先にドアの方へ近づいた。

「何もわかってないだろう」

酷いこと言うぜ、と言い返す元気もなくその言葉を背中で受け流してノブに手をかけた。

ヴィンスの顔を見ないまま、部屋を後にする。

ウィリアムは片眉あげて軽くため息を吐いた。



目が醒めると、もうすでに隣に彼はいなかった。ルドルフはますますウィリアムが好きになった。これで彼がのうのうと自分の横で寝息を立てていたら幻滅しただろう。孤高の狼のように警戒心が強く、するりと姿を消すような、そんなところが理想通りだった。

目覚めは良い。ゆっくりと伸びをして優雅な手つきでカーテンを開ける。薄くて粗末なものだったせいで埃が舞った。

思わず眉をひそめてコホリ、と咳をするが、別に誰がいるわけでもないのでか弱い振りはやめた。

2階建の建物から見下ろす町は気持ちがいい。自分がすべてを手に入れたような気にもなるからだ。もっと高い場所から街を見下ろしたらどうなるのだろう。たまらない心地よさになるのだろう。

そんなことを考えながらつう、と窓のふちをなぞる。指先に埃がついた。やはり安宿はだめだ。なんだか汚い場所に思えて窓を離れた。

テーブルの上には煙草の包み紙に走り書きで「大人しく帰れよ」という言葉と、チョコレートが買えるくらいの小銭が置いてある。

ウィリアムが残していったものだ。

もしこれがウィリアム以外の一晩だけの仲の男からのものだったなら何の感情もなくくず箱に捨てるのだが、ルドルフは花のような微笑みを浮かべてメモに口づけた。

自分を気に掛ける優しさを捨てきれないところが彼の弱点でもあり好きな点だとも思う。乙女のような甘い気持ちになればどさりとベッドに倒れこんだ。

「嗚呼ウィル、早く僕のものになってよ」

小さく呟くとルドルフは再び唇に三日月を描いた。




薔薇と脳髄の向こう

感嘆と共感と畏怖。共に彼岸へ向かおう。