黄金色
「雨降ってたの?」
水の滴るマントをレベッカが受け取り端にあるコート掛けにかけた。もう既に下には水たまりができている。
ベティは3人で話そうとしていたが、ヴィンセントのひと睨みが効いたのかそそくさと席へ帰っていった。
ヴィンセントの機嫌は最悪だ。
雨のせいもあるだろうが、彼の胸中はそれだけではなかった。ウィリアムに触れていた女に怒りがあったのだった。もちろん本人がそれに気づいているわけもなく、ただ苛つきを抑えきれない表情のまま隣に腰かけた。
ウィリアムの問いかけにも答えずマスターに「ウイスキーロックで」と言う。
刺々しい雰囲気のままカウンターに肘をついたヴィンセントを見てウィリアムは内心苦笑いした。
…こりゃあだめそうだな。
髪を上げているせいもあってか、いつもより大人っぽく見える。美人だから余計にきつい目をしているときつく見えるのかもしれない。
髪と顔立ちのせいでヴィンセントを女性だと思った男たちがちらりちらりと気にしているのがわかる。ヴィンセントがそれに余計神経を逆なでされないか心配だった。
「はいよ」
マスターが滑らせたグラスを勢いよく飲み干したヴィンセントがすかさず「同じのを」と言う。
「おいヴィンス、流石に焼け酒過ぎないか」
「うるさい」
ブルーの瞳が不機嫌そうに睨みつける。ウィリアムはそれをのらりくらり躱して片眉あげた。
触らぬ神に祟りはないと思えば胸元のポケットに手を伸ばして煙草を取り出す。咥えたままマッチで火を点けるとそれを横から奪われてしまった。
「寄越せ」
ウィリアムの唇から奪った煙草を咥えるとヴィンセントが煙を吐き出した。
虚ろな目のまま遠くを見てため息をつくその王子の姿にウィリアムは眉をひそめた。頬杖をついて彼の顔を覗き込む。
「なんだってそんな荒れてるんだ?何かあったのか?」
こんなに自暴自棄になっているのは珍しい。軽く首をかしげると自分ももう一本、煙草を取り出した。
「関係ないだろう」
「そんなことはないさ。煙草一本分くらい話せよ」
わざと茶化すような言い方をしてもヴィンセントには通じているのかどうかわからない。眉間にしわを寄せたままヴィンセントは再び出されたウイスキーのグラスを傾けた。ウィリアムの方のグラスではからりと氷が溶けて黄金色が薄くなっている。
まだ話したくないように渋っている彼の様子に肩をすくめると、薄まったグラスに口をつけた。マスターは気まずそうに下を向いてグラスを磨いている。
ヴィンセントがガタリとグラスをカウンターに置いた。もう既に中身は空だ。
規制するつもりはないが、無理はしないでほしいと思う。
「あんまり飲み過ぎるなよ、ヴィンス。そんなに強くないんだから」
「…家から手紙が来た」
呆れたような言い回しで冗談ぽく言ったウィリアムは絞り出すような彼の言葉に動きを止める。
ああそうか。そりゃ辛かったんだな。
出かけた言葉を飲み込んで、彼の方を見た。手元のグラスに目を落としたまま唇を噛んでいる。
「そうか」
他に言葉が見つからない。それだけようやく呟くと、ヴィンセントから目を離した。
「もう一杯くれ」
ヴィンセントがグラスをマスターの方へ滑らせる。ゆっくり彼の体がカウンターへ倒れこみ、そのまま伏してしまった。言葉が見つからないままウィリアムは軽く手を伸ばすが、結局何もできないまま手を下ろす。
「ヴィンス…」
「お前だけだよ」
唐突に言われた言葉に動きが止まる。少しだけ手が汗ばんだ。
「お前だけだよ、ウィル」
それだけ言うとヴィンセントはまた口を閉じてしまった。ウィリアムは一瞬息ができなくなった。嬉しいような、苦しいような。表現できない感情が込み上げてくる。言葉の真意はわからない。だが、その噛みしめるような言い方が深く胸に刺さった。
「はいよ、ウイスキー」
マスターがグラスをヴィンセントの前に置くと、顔を上げてグラスを手繰り寄せた。口をつけてゆっくり喉へ流し込んでいく。
酔いのせいなのか、上気した顔でウィリアムをヴィンセントが見据えた。
不覚にもどきりと胸が鳴ってしまう。ウィリアムは再び以前のルドルフの言葉が蘇ってくるが、必死にそれを忘れようとする。
目を伏せたヴィンセントのまつげが異様に長いこと、唇がやけに赤く見えること。そんなのが気になり始めてしまった。
「あー、ヴィンス。もうやめとこうぜ。寮に戻ったらバレるぜ?二日酔いもするだろうし…っておい」
生まれた邪な感情を押し殺すかのように呆れたふりをしてグラスを遠ざける。それを取り返そうと手を伸ばしたヴィンセントがバランスを崩してウィリアムにもたれ掛かる形になった。
ますます距離が近くなり、ウィリアムは思わず息を止めた。いつもの癖で彼の体を支えてやるように腰に手を回す。
「良い。今日は寮に帰りたくない」
「え?」
「帰りたくない」
ウィリアムに抱きかかえられた状態のままヴィンセントが小さく呟いた。
困ったな。
珍しく仮面を被っていない彼の姿に半ば呆れながらも少しだけ喜びが滲んだ。
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