てめえのケツはてめえで拭え

本家は傘下の尻拭いをしなければならない。

どれだけ出来が悪かろうと傘下の組員がやらかしたそのツケを回収しなければならないのが本家の勤めだ。

神谷組の傘下である高藤組の組員が、カジノの裏引きでヘマをした。

「よりによってカモったのがアッチの組の娘とはなァ」

時任はまとまった書類の束を黒檀の机の上に放った。

神谷巽はそれを引き寄せ、一番上にクリップで留められた写真を見た。

気の強そうな女が写っている。韓国アイドル風のピンク色の髪の毛が印象的だった。

「しかもその女とグルになって中国マフィアから金巻き上げたらしいからな」

「幾重にもめんどくさいですねえ」

「まあな。ウチはまずマフィアに殺られる前にこいつ...高藤組の矢野を回収。んでもって行方くらましているこの牧野れなを回収、無事に牧野に返せなけりゃ抗争だ」

苦々しく時任がそう言って煙草の煙を吐き出した。

「先に女が殺されたりしたら、100%ウチのせいにされますね」

「ああ。中国マフィアにもこの女の面は割れてるらしい。すでに大陸にでも流されてなきゃいいがな」

「牧野組が娘かくまっているってパターンは?」

「ねェな。先日牧野の末端が娘探しにウチの事務所一個に乗り込んできやがった。下手すりゃ抗争だっつーのにわざわざそんな真似するか?」

「じゃあやはり娘が自分の意思で矢野と一緒に身を隠してるか、本当に誘拐されているかですね」

「イケるか、巽ィ」

時任はゆっくり灰皿を引き寄せて煙草を押し付けた。ゆっくりと煙が昇り、細くなって消える。

「3日あれば」

巽は緩く唇に弧を描いた。

「お前...…いや、何でもない」

今は亡き若頭の面影を時任は感じたが、口には出さなかった。


「ということで、ひとまずこの矢野学武を回収。多分ウチの組員使えばこいつは引っ張れる。問題は女の方...」

巽は並んだ黒服の男たちの前に2枚の写真を置いた。

神谷組本家の一間に、巽の一派が顔を揃えている。一派といっても、若衆の中で信頼できる面々だけだ。

巽の部下たちは若い。組に入って間もない人間の方が多い。その中でも、巽が一目置いている数人だけが揃えられた。

もちろん、その中に濤川や灰賀もいる。

「牧野組の娘。矢野と一緒にいる可能性もあるが、ひとりで行動しているのならウチのシマじゃないところに出没してる可能性の方が高い。だから探すときはできるだけ慎重にするように。間違っても問題起こさないようにして保護しろ」

巽の言葉に一同が頷いた。

「一刻を争うことになる。少なくとも中国マフィアに先越されんじゃねえぞ。男は最悪良い。女だけは生きて連れてこい」

巽の語気に、若衆たちは唾を飲む。

一歩間違えれば抗争になりかねないーー。

男たちは低く返事をした。


丸2日間の捜査のおかげもあってか、矢野の方は案の定大体の居所が掴めた。他のシマに潜伏するより、神谷組のシマにいる方がまだ安全だというのは流石に馬鹿でもわかるようだ。

そちらは一旦、時任たちが仕切ることになった。

問題は女の方だ。

足取りが掴めそうで掴めない。

他の組のシマに出入りしているという噂はあったが、絶妙に手を出せないところだった。

期限はあと1日。

巽は組の事務所で深いため息を吐いた。

「クラブ全般は張ってますが、顔出しますかね」

少しだけ張り詰めた表情の巽に、灰賀が緑茶を淹れた。

机に置かれた湯呑みを持ち上げながら、巽はすぐに微笑みを作った。

「そろそろ顔出してもらわないとキツイね」

「あの女バカそうだしそのうち出てきますよ」

「そういうこと言わないの」

灰賀の毒舌に苦笑いしながら、巽はお茶を口に含む。

「…贔屓にしてたっていうクラブには濤川が張ってます。有難いことにケツモチ無しのクラブす」

「わざわざこのタイミングでそんなところ来るかなぁ」

「さあ」

灰賀は正直、抗争になろうがどうなろうがどうでも良かった。でも、巽が少し苦しそうにしているのは嫌だった。

「賭けだね。矢野の証言によれば週末は欠かさず通ってるみたいだし」

今日がその週末だ。今日こそ彼女を見つけなければならない。

若衆たちも、他の目星がついているクラブやバーなどを張っている。それに、牧野れなはわがままし放題の娘だと聞いている。そんな娘が5日以上もどこかに潜伏できるとは考えられない。今日、どこかに顔を出すはずだ。巽は、そう読んでいた。

僅かな緊張感の残る事務所の中で、巽の仕事用のスマホが鳴る。

着信相手は、濤川だ。

「ナミちゃん?どうかな」

「来ました来ました!ズバリ的中!あの女っすよ!」

スマホの向こうから、クラブミュージックの重低音が漏れてくる。その音に紛れながら濤川の声がやっと拾えた。

「でかしたナミちゃん。そのままその子をつけて。俺たちもすぐ行く」

灰賀は素早く自動車の鍵をとり、椅子にかけてある巽のジャケットを持った。

巽もパイプ椅子から腰を上げ、事務所をあとにした。


「時任さん?例の女の子、見つかりました。とりあえず今現場に向かってます。どんなもんになるかわからないんで、目立たないように何人か寄越してください」

灰賀が運転するプリウスの助手席で巽は時任に連絡を入れた。

クラブは目と鼻の先だ。

この車の持ち主は、組でも灰賀でもない。盗難車というわけではないが、ナンバーが記録されても問題のない車だ。

神路町から離れた、郊外のクラブに到着した。


悪趣味な煌びやかなクラブの隅で濤川が酒を注文していた。

もちろん、口はつけていない。さすがに仕事の途中で酒を飲むほど軽率ではない。

巽たちもスーツから少しラフなシャツに着替え、浮かないようにする。

「VIPルームに入っちゃいましたよ」

小声で濤川が告げる。クラブの割れるような音に紛れて、巽たち以外には聞こえていないだろう。

「うっさいですねここ」

灰賀は落ち着いている。濤川のほうは緊張を隠しきれていないが、まあ大丈夫だろう。

「周りには誰かいた?」

「いかつい男が数人。でもあれは牧野組の側近とかっていうよりも半グレの悪仲間ってとこじゃないすかね」

美容師をしていた濤川は、人の顔を見るだけでなんとなくその人となりがわかるという特技があった。しかも、あまり外れたことがない。

「牧野組自体からもどうやら身を隠しているようだね」

じゃじゃ馬娘は、組に迷惑をかけるなど微塵も思わずに行動しているらしい。

組員をつけられたり監視されたりするのが煩わしいのだろう。そのせいで、要らぬ疑いが神谷組にかけられているというのに。

「VIPルーム、いきますか」

灰賀が軽く顎を上げた。クラブのホールを見下ろす位置に、一面ガラス張りの部分がある。

こちらからは見えないが、おそらくマジックミラーになっていて、向こう側にあるのがVIPルームだろう。

ちょうどそのタイミングで時任たちが入口前に着いたと連絡が入った。できるだけ穏便に済ませ、うまく説得して組まで連れて帰りたい。もしそうならなかった場合には、あの取り巻きたちをどうにか片付けて、彼女を気絶させて、連れて帰る。

頭の中で最善と最悪の想定をし、巽は2人を見た。

「行こうか」


VIPルームの中では、牧野れなが親しい友人数人と酒を飲んでいた。

「てかれな外出平気なん?」

金髪の派手な見た目の女子が軽く問いかける。

「まじだるい、親もめっちゃ探してるっぽいんだけど怒られるしぃ」

「でもヤバいことしたんでしょ」

ヤバい、と微塵も思っていないような口ぶりで女子は笑った。

「馬鹿なおっさんだなって思ったらやくざだったし、馬鹿な中国人だなって思ったらマフィアだっただけじゃん。最悪パパにどっちも殺してもらえばよくね~ってかんじ」

キャハハ、と下品な笑い声がくぐもったクラブの重低音に混ざる。

脇にいた半グレもどきのような男たちもへらへらと笑っている。

「まあいざとなったらあんたたちがボコってくれるっしょ?」

「ったりめーだろ。金も貰ってるしなぁ」

「金以外もな」

「まじサイテー」

煙草に火をつけながら男を軽く小突いた。

本人たちはやはり自分が何をしたのか、気づいていないようだ。

「あのやくざも馬鹿だよね〜カモってると思ってたっぽいけど、実はあたしがカモってたなんて微塵も気づいてないんだよ?ほんとうける」

「裏カジだっけ」

「そうそう~」

と、言っているとドアがノックされた。

彼女たちは一瞬静まり返る。

「誰?今日ここ貸し切りなんだけど」

れなを手で制して友人の女子がドアに近づき、そっと隙間から覗く。

「あれ?れなちゃんがいるって聞いて来たんだけど、違う?」

長身で金髪の、綺麗な男が立っていた。

「え?お兄さん誰?れなの知り合い?」

一瞬見惚れたその隙に男がドアをこじ開ける。

状況が呑み込めない彼女をどかして、柔らかい笑みを浮かべた巽は室内へ入り込んだ。

「なんだてめえゴルァ!勝手に入ってくんじゃねえよ!」

息巻いた男たちが立ち上がり、巽に詰め寄る。巽は笑みを浮かべたまま怯まない。

「れなちゃん、俺たちと一緒に来てくれないかな。もちろん、悪いようにはしないよ。ただ、君のお父さんたちの誤解を解くのを手伝ってほしいんだ」

巽の視線は、男たちなどにはない。あくまで部屋の奥にいるれなに注がれている。

れなは、得体のしれない恐怖を感じた。

笑ってない。

極道の娘として育ってきたからこそわかる。

この人は、とんでもない人だ。

「れなに用があンだったら先に俺らに話通してからにしろやアァ?」

語気荒く男たちが巽にガンをくれている。

「君たちに用はないよ。俺はれなちゃんと話がしたいんだ」

巽のその言葉を受けた男の一人が、そのこぶしを振り上げた。

だが、その握った手が巽にぶつかる前に、男の巨体が後ろへ飛ぶ。

男は鼻から血を噴き出していた。

「て、てめぇ」

巽が背後に立った人物に話しかける。

「あーあ、先に手出しちゃダメって言ったのに」

ドアの隙間から身を滑らせて入ってきた灰賀は、男の方を見下ろした。

「汚い手で巽さんに触るな」

巽よりも背の高い男ーーしかも、躊躇なく顔面を殴ってくるような男を見て、男たちは一瞬怯む。

ゆっくりと近づいて、灰賀は床に転がった男の腹を蹴り飛ばした。男は腹を抑えて唸ったまま動けない。

「こちらとしては、これ以上騒ぎを起こさずにれなちゃんを連れて帰りたいんだけれど…」

その様子を見届けた後、顔色一つ変えず、巽はまたれなに問いかけた。

「い、いやよ!だいたい、誰なのよアンタ!」

「ああごめん。名乗り忘れてましたね。神谷組若頭候補の、神谷巽と申します」

「か、神谷…」

さすがにこの名前は聞いたことがあったのだろう。れなの顔色が一気に青くなった。

「さて、君は今2択の状況に迫られている。おとなしく俺と一緒に来るか、このまま拒否して中国マフィアに連れ去られるか…俺たちと一緒に来れば、ひどい目には合わずにすむと思うよ」

男たちは、妙に冷静なこの男の前で、蛇に睨まれた蛙のようになっている。

全く動けない。

「あ、アンタたちと一緒に行って安全だって保障はないでしょ!?」

「中国マフィアよりはましだよ。それに、こちらのメンツもあるから君を確実におうちに届けられるよ」

「家に帰りたくないからこうやってるんでしょ。わかんないわけ?」

「家に帰る気がないの?」

「当たり前よ!どのくらい怒られるかもわかんないし!」

自分勝手だなあ、と巽が小さくつぶやいた。

「そうなるとやっぱり、一緒に来てもらうしかないな。力ずくでも」

巽の言葉を聞いて、れなが金切り声をあげた。

「いやだって言ってるでしょ!!」

その声で男たちは我に返る。

自分たちを奮い立たせるような雄叫びをあげながら巽の方を向いた。

「ナミちゃん、ドアお願い」

「アイアイ!」

巽の声で濤川も室内に滑り込み、外から誰も入ってこられないように内鍵をかけた。

男たちの拳が、巽に向かって飛ぶ。

半グレレベルの相手のこぶしなど、怖くない。

顔を狙ってきたこぶしを避け、ガードの甘い腹にこちらから一発お見舞いする。そのまま床に倒れた横っ面を蹴り上げる。

組に入ってから巽は、空手も合気道も習った。元来の喧嘩のセンスに加えて、武道の色も混じった巽は、組の中でもかなり強いほうだ。

喧嘩の場数からいって違う。

それに加え、灰賀もいるおかげで、怖いものなしだ。

灰賀は、人を殴るのに躊躇いがない。誰しも、少しの同情や痛みを想像して怯んだりするものなのに、この男にはそれがなかった。

何度かチンピラとの殴り合いに発展する度、巽は灰賀の冷徹なまでの暴力に驚きつつも頼もしく思うのだった。

数人の男が床に転がる。腰が抜けて立てない男もいるなかで、一人がポケットからナイフを取り出す。

「殺してでも止めてやるからな」

れなを守りたいというよりも、負けたくない男の意地でそう言っているように見えた。

がむしゃらにナイフをふりまわしながら狂ったように巽たちを煽る。

「さすがにナイフを前にしちゃ手も足も出ねえだろ!」

酒が入っているせいか、もしくはもっと良くないものでもやっているせいなのか、おかしな様子で男はナイフを振るう。

「あぶね~な」

巽は彼のナイフを避けながら間合いを図っていた。

しかし、れながスマホを取り出したとき、意識がそちらに持っていかれた。

その隙をついてか、偶然か、男のナイフが巽の頬をかすめる。

巽の頬に一筋、血が垂れた。

「やべ」

僅かな痛みと同時に男への反撃をしようとした巽は、動きを止めた。

自分よりも早く動く影があったからだ。

次の瞬間、男の腹にはナイフが刺さっていた。

「なんで…?」

灰賀は、刃がしっかりと見えなくなるまで深く刺す。男の手から奪ったナイフは、刃渡り自体は大したことなかった。

ナイフを引き抜くと男の体がゆっくりと床に倒れていった。みるみるうちに床に血だまりができていく。

灰賀がしゃがみこんで男の髪を掴んだ。

「てめえ、楽に死ねると思うなよ」

男は自分の体に覆いかぶさるようにして覗き込んできたその真っ黒な目をみて、痛みよりも心の底から湧き上がる恐怖が勝った。男が項垂れる。

男の血がついたナイフを突きつけ、灰賀は口を開く。

「おい、寝んな。てめえ巽さんの顔を傷つけておいて何寝ようとしてんだよ。てめえの顔切り刻んでやる」

男の頬から血が流れる。ぱっくりと割れた肌の間から、肉が見えた。

男は痛みに悲鳴を上げる。それが耳に入っていないのか、灰賀はナイフを男の口に突っ込んでそのまま横に引いた。男の口が裂ける。劈く悲鳴が漏れた。

「灰ちゃんストップ」

もう周りが見えなくなっている灰賀を巽が止める。

灰賀はゆっくりと顔を上げて巽を見た。

「殺す必要はないから」

「俺はいたぶらないと気がすみません」

「灰賀」

低く巽が灰賀の名前を呼んだ。灰賀はびくりと肩を揺らして男の上から退く。

巽は頬の血を拭うこともせず、ゆっくりと部屋の隅で怯えているれなと、その友人のほうを向いた。

「ひぃ」

巽のこぶしからも、血が垂れている。これは巽の血ではなく、床に転がった誰かの血だ。

「どうする?これでも一緒に来ないつもり?」

れなは首を横に振った。


幸いにも死者は出ずに済んだ。

灰賀が男を刺したときはどうしようかと思ったが、入院で済むそうだ。

あの場にいた人間全員の身分証明書を控え、箝口令を敷いたので下手に漏れることはないだろう。

牧野れなは無事神谷組に連れてこられ、そこから牧野組に連絡がいった。

牧野組の組長は目に入れても痛くないほど可愛がっていた娘の帰還を喜ぶと同時に、神谷組へ借りを作ってしまったことを懸念した。

矢野の処分には口出しをしないと宣言し、一時抗争間近となった牧野組と神谷組は和解、事なきを得た。

矢野がその後どうなったのか知るものはいない。


「灰ちゃん、ちょっと」

牧野組から帰った後、巽は灰賀に声をかけた。

「附田くん、地下室には誰も入れないでね」

「はい…?」

巽の笑顔にビビりつつも、言いつけられた部下は首を縦に振った。

その足で食堂へ向かう。

「あーあやべーよ灰賀」

食堂では執行猶予中のヤスが落花生を剝いていた。

「あ、ヤスさんお疲れ様っす。ヤバいって…?」

「うぃーす。灰賀が病院送りにならないように祈っとけよって事!」

「え…?」

「弟…じゃねえ、巽が地下室に呼び出すってことはまあそういうことだからな」

剝いたピーナッツをティッシュの上において附田の方へ滑らせる。

附田は軽く頭を下げてからそのピーナッツを口に運んだ。

「どういうことっすか」

「あれだぞ、エロいことしてるとかじゃねえからな」

「わかってますよそんなこと」

ぽいぽいとピーナッツを口に放り込みながらヤスが伸びかけの坊主頭を掻いた。

「全治2週間と見た」

「だからなにがですか」

「灰賀の怪我の完治まで」

「灰賀のやつ怪我してましたっけ」

「ちげーよ、これから怪我するんだろうが」

鈍い後輩にヤレヤレと首を振りながらヤスは笑った。

「灰賀、暴走したんだろ?カタギ殺しかけたとなっちゃあ締められるに決まってんだろ」

附田のピーナッツを食べる手が止まる。

恐る恐るヤスの方を見た。

「当たり前のことだろ、しかも兄貴分の言う事聞かなかったんだから。巽守るためとはいえ、やりすぎなんだよあいつ」

呑気な口調でそう言うとヤスは落花生の殻を置いて立ち上がった。

「んじゃ、片付けといてな」

散らかされた落花生の殻を見て附田はため息を吐いた。

薔薇と脳髄の向こう

感嘆と共感と畏怖。共に彼岸へ向かおう。