僕の手記から

~僕の手記から~

僕が彼の存在に気づいたのは少しだけ前。 僕が日の光を浴びれば浴びるほど彼は縮こまって、寂しげな顔して、辛そうな目で僕を見上げてくる。彼は、孤独だと思っていた。自分のことをずっと孤独で、醜くて、どうしようもないやつだって思っていた。僕はそうは思わない。彼はとても美しいと思う。綺麗で、綺麗で、小さな宝石だと、僕は思う。それを伝えると彼は泣きそうな顔で「ありがとう」と囁いた。

彼の存在に気づいてあげられなかった。僕が自分を責めると彼は僕を慰めた。それから、彼とずっと話をして、小さな言葉を吐き出して、お互いのことを理解して、お互いのことを愛し合った。彼は言った「君は光。僕はそれを支える陰でいい」と。彼は寂しそうな笑みを浮かべたけれど、皮肉なことにその時の僕は彼の背にしている日光が眩しくてその表情を汲むことができなかった。 彼と僕。それから…

僕は一生忘れることは無いだろう。僕という人間と、彼という人格。そして僕らを取り巻いた環境のことを。

これは僕の、僕に対する青春を駆け抜けた一瞬の時を記したもの。


【ぼくはずっと見てた。ジルベールという少年のことを。この狭い檻の中に閉じ込められていても彼は自由で、いつも朗らかに笑っていた。ぼくは眩しかった。 ジルベールは神に祝福されている。綺麗なプラチナブロンドの髪はふわりとした巻き毛だし、瞳はサファイアだ。ぼくの黒い髪と黒い瞳とは大違いだ。 それだけじゃない。 ジルベールはなんでもできる。勉強だって、詩だって、運動だって、ピアノだって。ぼくにとってジルベールは誇りであり、喜びであり、そして嫉ましさでもあった。 ジルベールは優しい。ぼくのことを美しいといった。お世辞だ。美しい彼にそう言われても正直ぼくは嫌味なのでは無いかと思ってしまう。ジルベールの優しさを素直に受け取れないぼくが妬ましい。 ぼくはぼくだけの世界でいい。 こんな醜い感情を抱くのなら、いっそもうジルベールを見ないほうがいいと思った。でもそんなことできるはずがなくて、ぼくはジルベールに近づきたいから、ジルベールみたいに美しくなりたいから、綺麗なものをたくさん知りたい。綺麗なものをたくさん食べたい。 彼の美しさを前にしたら言葉は無力だ。ジルベール、君は美しいよ。ぼくは君が羨ましい。君になりたい。

ぼくとジルベールの時間はいつも一緒に流れて、悲しさもなにも忘れさせてくれるほど綺麗で、きっとぼくは死んでしまってもジルベールと過ごした日のことは忘れないんだろう】



他愛もない時間だ。仲の良い友達と一緒に時間を過ごして、楽しいと思う。わいわいしながら皆といる時間も僕は好きだ。でも彼は、そうではない。彼は孤独で、独りだから僕がいてあげなくちゃいけないんだ。別に苦痛なんかじゃないんだ。僕にとって彼は最大の理解者で最大の愛すべき存在だから。

僕は人よりちょっとものができるだけなのに他の周りの皆は崇める。すごいね、優等生だね、そんな言葉のせいで僕はいつの間にか、「僕」という人間を演じている。僕は皆が思っているより綺麗な人じゃない。毒黒くて汚い人間なんだ。期待しないで。息の詰まるそんな檻の中で、唯一僕が息を付ける場所は彼のいる、僕の城だけだ。 僕の大事な彼と、僕の大好きなものばかりのあの部屋。僕は僕の部屋にいるだけで随分心が安らぐんだ。 ぼんやりと集めたポスターだとか、小さな花だとかを見つめるだけ、でもそれでいいんだ。僕の部屋の中にあるものたちはみんな生きている。息遣いが聞こえる。絶対に裏切らない、僕の友達。そして其処にひっそりと生きる彼。僕は彼処が居場所。 彼と一緒ならなんだってできる。彼とベッドに入って、優しい夜に包まれながら眠るのが幸せ。

息が詰まる優等生なんてやめてしまいたい。 大衆の中でずっと生きるのにはもう疲れた。彼と、静かに生きたい。


【ジルベールが机に向かってる。邪魔をするつもりじゃないけどその背中に寄りかかっている。ぼくは何をするでもなくぼうっと天井の装飾を見ていた。2、3言だけ会話した後にぼくはジルベールから離れて音を立てずにベッドの上で寝そべる。薄い天蓋のついたベッドはジルベールからも視線を遮るので、彼はぼくが出て行ったんだと思っているはず。少しすると下級生が入ってきた。

ジルベールを、じっと熱のこもった目で見つめている。この下級生もきっと、ジルベールに対して「憧れ」だけではない感情を抱いているはず。ジルベールは鈍感だからそんな事には気づかないし気づくはずもない。そういうところがある。無意識のうちに彼は誰からも好かれて、みんなから愛されて….

兎に角、早くこの子には出て行って欲しい。ぼくとジルベールの時間を、返して欲しい。沈黙だけれど、息の詰まる先生との沈黙じゃなくて、爽やかな5月の木漏れ日の中を散歩するみたいなそんな沈黙だから。

声なんか掛けたって気づいてもらえないからぼくはだまってベッドで寝そべり、薄く透ける2人の様子を見つめている。この分だったらきっと予鈴までいってしまうな。 そう考え事していたらいつの間にか眠ってしまった。

ばたり、というドアの閉まる音で目を開ける。嗚呼。ジルベールが帰ってくるまで、ぼくはまた1人。この落ち着く狭い狭い檻の中でひとりぼっちんだ。深く息を吐いて、ベットから降りると机に落ちている金木犀の小さな花を見つけた。 「嗚呼、もう秋か」 声にならない声で、小さく呟いた。】


彼はとても繊細だと思う。あとは、言葉は悪いけれど情緒不安定。一番理解してるって思っている僕でさえ彼が何を考えているのかわからないときがたくさんある。何故だろう。彼は普通の時は普通だ。楽しい漫画を読んでいるときは楽しそうに笑うし、悲しい映画を見れば悲しめる。でも時々感情を失ってしまうことがあるんだ。ぱたりと心を閉ざしてしまう時がある。そうなってしまったらもうだめ。僕ですら彼の心に入ることは出来なくなる。そうなった時には彼を放っておいてあげるのが得策なんだ。  

彼の存在というのはあるようでない。彼は自分をたまに消してしまう事がある。何処にもいなかったみたいな顔して別の存在でいる時がある。 彼は悩んでる。いつも悩んでる。僕やみんなにとっては簡単な事なのに彼にとってはすごく難しい事を悩んでる。

だからってそれを否定してはいけない。何故そんな簡単な事がわからないの?と問いかけてはいけない。悩んでいるようで空っぽなのかもしれないけど、でもその足掻きが彼にとって必要な事なんだ。わかってあげる必要はなくて、ただ彼がしたいように、放っておいてあげればいい。 前に一度、尋ねてしまったことがあった。君は何故突然殻に閉じこもってしまうの。子供じゃないのだからやめれば?と。 それには答えずに彼はそのまま三日間帰って来なくなった。少しして空っぽになった姿で戻ってきた。突いたら壊れてしまうんだと、その時初めて気づいた。彼は相当不器用なんだと思う。 誰かを傷つけないためについた嘘はいつの間にか傷をつけてる。自分の言葉を素直に吐き出せない、彼は優しくて不器用だ。僕はそれをよく知っている。彼が何を見て何故足掻いているのか、それを僕はただ隣で手をつないで一緒に見てあげるだけなんだ。



 彼は一人が好きなのかもしれないと思うことが増えた。でもきっとこれは僕の前だから彼が格好をつけているだけなんじゃないか。そんなことを思ってしまう。僕だって彼を完全に理解することなんかできない。きっと彼がそうさせてくれやしないんだ。本当に、彼に直接言ってしまったら。考えただけで恐ろしいよ。僕は、このもがきが大切なことだって知っている。わかっている。だからこそ、彼を誤解してしまってはいけない。僕だからこそ、彼を慎重にみてあげなきゃ。彼の中できっと僕は永遠なんだと思う。永遠であるためには、僕はずっと彼のためにも優等生で完璧でなくちゃいけないんだ。僕が僕であるためにも、彼が彼であるためにも。



 ずっとわかってたんだ。彼は僕の中にいるということを。彼が彼であるということは、僕が僕でなくなることなんだ。僕という人間の中に生まれてしまった彼という人格。僕のとっても利己的な理由で彼は生まれてしまった。なら、僕は彼を大切にしなくちゃいけない。誰よりも理解者でなくてはならない。彼のために、僕は生きていかなくちゃいけない。でも、僕はそこまで器用ではないのだ。彼が僕であることに気づかなければ、僕たちは、僕は何も知らないまま幸せに生きていけたはずなのに。気づかなければよかった。僕はどうしたらいいんだろう。彼と、僕と、どっちを取るべきなんだろう。彼を犠牲にしてまで、僕は生きる価値があるんだろうか。彼のために、僕は死ねるけれど、彼は僕のために死ねるのだろうか。僕たちは二人で一つなんだ。ずっと、ずっと一緒にいなきゃいけないんだ。彼を大事にしていくべきなんだろうか。わからない。彼と一緒に、生きないという道を選ぶべきなのだろうか。

~ここで手記は途切れている~

薔薇と脳髄の向こう

感嘆と共感と畏怖。共に彼岸へ向かおう。